プロ野球界のレジェンド・長嶋茂雄さんの長男として注目を浴び続けてきた長嶋一茂さん。
現在は、タレントや野球評論家として幅広く活躍されています。
華やかな長嶋ファミリーには、「名門一族」という言葉がぴったりですが、どのような家族エピソードがあるのでしょうか。
今回は、長嶋一茂さんの家族構成や家系図を分かりやすく図解で解説します。
長嶋一茂の家族構成・家系図
長嶋一茂さんは、父親・母親・本人・妹・妹・弟の6人家族
長嶋一茂さんは6人家族で、父・母・本人・妹・妹・弟という家族構成です。
1999年に猪野仁子さんと結婚し、双子の娘さんが産まれています。
| 続柄 | 氏名 | 生年/年齢(2025年現在) | 職業・備考 |
|---|---|---|---|
| 祖父 | 長嶋利 | ?~1954年 | 元臼井町収入役・助役 |
| 祖母 | 長嶋チヨ | 1900年~1994年 | |
| 父 | 長嶋茂雄 | 1936年~2025年 | プロ野球選手・監督(終身名誉監督) |
| 母 | 長嶋亜希子 | 1943年~2007年 | 実業家(株式会社オフィスエヌ代表) |
| 長男・本人 | 長嶋一茂 | 1966年(59歳) | タレント・元プロ野球選手 |
| 長女・妹 | 長嶋有希 | 1967年(58歳) | 一般人 |
| 次女・妹 | 長島三奈 | 1968年(57歳) | スポーツキャスター・実業家 |
| 次男・弟 | 長島正興 | 1970年(55歳) | 元レーシングドライバー・環境活動家 |
| 妻 | 猪野仁子 | 1968年(57歳) | 元銀座ホステス・実業家 |
| 長女 | 非公開 | 2004年(21歳) | 双子・海外留学中 |
| 次女 | 非公開 | 2004年(21歳) | 双子・海外留学中 |
長嶋一茂の家系図

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長嶋一茂の実家は?
長嶋一茂さんの実家は、東京都大田区田園調布の高級住宅街です。
言わずと知れたの本屈指のセレブエリアですね。
父・茂雄さんが現役時代の1971年に建てた豪邸は、敷地面積約590平方メートルで地上2階地下1階の立派な邸宅です。
実家:東京都大田区田園調布
実家はお金持ち?
田園調布の一等地にある実家は、土地だけでも6憶を超えるんだとか。
1971年に新築された建物は1983年に増築、延べ床面積は約330平方メートルにも及ぶ広大な邸宅です。
長嶋家がお金持ちなのは、言うまでもありませんね。
茂雄さんの野球選手としての輝かしい実績はもちろんの事、引退後も読売巨人軍の監督やタレント活動、CM出演など多岐に渡り活躍してきた賜物です。
また、母・亜希子さんも自身が立ち上げたマネジメント会社「株式会社オフィスエヌ」で、茂雄さんのマネジメントを通じて大きな収益を上げていました。
まさに名実ともに、日本を代表する「お金持ち一家」と言えますね。
長嶋一茂のプロフィール

本名:長嶋一茂(ながしま かずしげ)
生年月日:1966年1月26日
出身地:東京都大田区田園調布
身長:182cm
体重:90㎏
血液型:B型
学歴:立教新座高等学校→立教大学社会学部卒業
投打:右投右打
ポジション:内野手(主に三塁手)
所属事務所:ナガシマ企画
趣味:サイクリング、スキー、体を鍛えること、読書
光と影が交錯する、波乱万丈な人生を送ってきた長嶋一茂さん。
長嶋茂雄の息子というプレッシャー
立教大学時代には東京六大学野球で活躍し、1987年のドラフト会議でヤクルトスワローズから1位指名を受けプロ入りします。

しかし、父・茂雄さんの偉大な背中はあまりにも大きく
長嶋一茂プレッシャーは想像を絶するものだった
そうです。
1988年にヤクルトでプロデビューを果すものの、なかなか定位置を掴めず苦しい日々。
母・亜希子さんからは



プロ野球選手になるのを辞めなさい
と、実はドラフト3日前に言われていたんだとか。
1993年には読売巨人軍にトレードされ、父と同じユニホームを着る機会に恵まれますが期待に応えることはできませんでした。
その後、1996年に30歳で現役を引退しています。
バラエティで大活躍
引退後、1997年からタレント活動を本格的に開始。
ここで、一茂さんの真価が発揮されます。
持ち前の明るいキャラクターと父譲りのスター性を活かし、情報番組のコメンテーターやバラエティ番組で大活躍。


現在では、人気タレントとして確固たる地位を築きました。
長嶋一茂の妻・猪野仁子


長嶋一茂の妻
- 名前:猪野仁子(いの ひとこ)
- 本名:長嶋仁子
- 生年月日:1967年12月18日
- 出身地:鹿児島県
- 学歴:鹿児島城西高校卒業
- 職業:元銀座ホステス、ナガシマ企画社長
元銀座№1ホステス
元々銀座の高級クラブ「ドルフィン」で、ホステスとして働いていた仁子さん。
一茂さんが現役を引退した頃、巨人の先輩である宮本和知投手に連れられ訪れた銀座のクラブで仁子さんと出会います。
一茂さんは一目惚れし、熱心なアプローチの末に交際。
その後、1999年8月に結婚しました。
実家は鹿児島
鹿児島県出身の仁子さんは、温厚で家庭的な性格だそうです。
結婚後は、一茂さんのマネジメントにも携わり個人事務所の設立にも大きく関わったんだとか。
現在は個人事務所の社長も務めており、一茂さんは仁子さんについてこのように話していました。



感謝しない点がないくらい、パパとして完璧にさせてくれた
夫婦仲は、非常に良好だそうです。
子供
長嶋一茂さんと猪野仁子さんの間には、双子の娘さんがいます。
子供:2人
・長女:2004年6月生まれ
・次女:2004年6月生まれ
一茂さんは子どもたちのプライバシーを非常に大事にしており、名前や顔写真は一切公開していません。
次女は中学卒業後から、長女は2023年の秋から、それぞれ海外留学しているそうです。
教育に対して一家言を持つ一茂さんは、子どもたちによくメッセージを送るんだとか。
パパは話が長すぎると言われる
自分の考えや人生訓を伝えるため、2人には折に触れて同時にメッセージを送る。先日は、社会人になった時の三つの心構えを書き連ねた。その内容は大まかに「組織、社会の常識にとらわれず臨機応変に」「グローバルな社会の中で、世界における日本の役割をまず考えなさい」「自分と向き合って1人になる時間を多くしなさい」というハイレベルなもの。
デイリーより
また、自身を「踏み台にして生きなさい」と話し「父である自分の名前や実績を利用して、さらに高い所を目指して欲しい」という独自の教育方針を持っているようです。
溺愛している双子の娘さんたちからは「完璧なパパ」と評価されています。



素敵な家族関係ですね!
長嶋一茂の父・長嶋茂雄
長嶋一茂さん父親は、プロ野球界のレジェンド・長嶋茂雄さんです。


長嶋一茂の父親
- 名前:長嶋茂雄(ながしま しげお)
- 生年月日:1936年2月20日
- 没年月日:2025年6月3日(享年89)
- 出身地:千葉県印旛郡臼井町(現・佐倉市)
- 身長:178㎝
- 体重:57㎏
- ポジション:三塁手
- 投打:右投右打
- 経歴:立教大学→読売巨人軍(1958年~1974年)→巨人監督(1975年~1980年、1993年~2001年)
- 主な実績:首位打者5回、本塁打王2回、打点王5回、新人王、ベストナイン17回
「ミスタープロ野球」「ミスタージャイアンツ」などの愛称で親しまれた長嶋茂雄さんには、数々の伝説が残っています。
天皇陛下の前での約束のホームラン
1959年の天覧試合で9回裏にサヨナラホームランを放ち、「ミスタープロ野球」の地位を不動のものとします。
この試合は、昭和天皇が初めて野球を観戦された記念すべき試合でした。



天皇陛下の前で必ず打つ
と長嶋さんは公言しており、見事に有言実行。
長嶋茂雄さんの人気を決定づけた試合となりました。
忘れ物の伝説
1968年5月11日と1971年6月17日の2回、長嶋さんは「バットを持たずに打席に立つ」という伝説を残しています。
あまりにも試合に集中しすぎて、バットを持っていないことに気づかなかったのだとか。
また、1967年10月には遠征先に野球道具一式が入った荷物を忘れるという事件も。
ところがその試合で大活躍し、以来「荷物を忘れると好調になる」というジンクスが生まれ、時には意図的に忘れたふりをすることもあったんだとか。
そして、重大な事件が1958年9月19日の三塁ベース踏み忘れ事件です。
当時の新人記録更新がかかった重要な場面で、長嶋さんは28号ホームランを打ったものの「喜びのあまり三塁ベースを踏み忘れる」という痛恨のミス。
結果はアウトになってしまいますが、周りからは「長嶋らしい」と語り継がれているエピソードです。



このような天然ぶりも長嶋茂雄さんの魅力として愛されていますね!
長嶋茂雄の名言
1974年10月14日の引退セレモニー。





我が巨人軍は永久に不滅です
という名言を残した長嶋さん。
この言葉は日本のスポーツ史に残る名セリフとして、今でも多くの人々の心に刻まれています。
感極まって涙を流す長嶋さんの姿は、多くのファンを感動させました。
父とのエピソード
1973年のある試合、自身のプレーを見せようと一茂さんを後楽園球場に連れて行った父・茂雄さん。
一茂さんをスタンドに座らせて、茂雄さんは試合に没頭していました。
帰宅後、妻の亜希子さんに



一茂は?
と聞かれ、息子を球場に起き忘れたことを思い出したそうです。
一茂さんが3~4歳での出来事だそうです!
無事帰ってこられて良かったですね!
忙しい父との数少ない触れ合いは、日が暮れるまでキャッチボールをしていたことだそうです。
茂雄さんとの思い出として、子供のころに行ったキャッチボールを挙げ、「野球の話を父とできることがうれしかった。小学校の時は、忙しかったと思うけど、真っ暗になるまでずっとキャッチボールをやったり。一言もしゃべらなかったけど、キャッチボールだけは父親と1時間でも2時間でもずっとできた」と語った。
izaより



真っ暗になるまで付き合ってくれた



それを通して父親と会話ができたというのが最大の思い出
と一茂さんは明かしています。
父・茂雄さんが監督時代に巨人に在籍した一茂さん。
父に戦力外通告を言わせたことを、今でも後悔しているそうです。
「残念だけれど、お前はもう来季の戦力に入ってない」
1996年秋、田園調布の実家で、父は自らの口から息子に戦力外を通告した。「わかりました」とだけ答える一茂。夢の終わりは呆気ないものだった。
Number Webより



引退の宣告を父親にさせてはいけなかったな。悔やまれることだけど…
父も息子も周りからは到底計り知れない葛藤があったのでしょうね。
長嶋一茂の母・長嶋亜希子
長嶋一茂さんの母親は、実業家として長嶋茂雄さんのサポートをしてきました。


長嶋一茂の母親
- 名前:長嶋亜希子(旧姓:西村)
- 生年月日:1943年1月5日
- 没年月日:2007年9月18日(享年64)
- 出身地:東京都
- 学歴:聖テレサ大学卒業(アメリカ留学経験あり)
- 職業:実業家(株式会社オフィスエヌ代表取締役)
- 父:西村光雄(内外出版社社長)
- 祖父:西村辰五郎(出版社・東雲堂書店を経営、歌人として本も出版)
東京五輪が出会い
母・亜希子さんは、英語・フランス語・スペイン語・イタリア語の4ヵ国を操るマルチリンガルで国際的な教養を備えた才女です。
1964年の東京オリンピックでは、外国要人をエスコートするコンパニオンを務めていました。
そこで、長嶋茂雄さんと出会い、茂雄さんの猛アタックを受け交際をスタート。
その後、わずか3カ月でゴールインという電撃的な結婚をしました。
夫を支えた敏腕マネージャー
亜希子さんは茂雄さんのマネジメント会社「株式会社オフィスエヌ」を設立し、代表取締役として夫の仕事を全面サポートしていました。
巨人軍の助っ人外国人とも英語で流暢にコミュニケーションを取り、チームの調和にも貢献。
まさに「内助の功」を体現していますね。
母とのエピソード
母からはプロ入りを反対されていた一茂さん。



プロ野球選手はやめなさい。あなたは無理
プロ入り後も、1軍ではなく2軍のキャンプから行くように言われていました。



2軍のキャンプからスタートしなさい。
技術を身につけてから1軍に行っても遅くない。
自分からお願いしてでもそうさせてもらいなさい
しかし、聞く耳を持たなかった一茂さん。



おふくろやめてくれと、なんで2軍からスタートするんだ
シーズンが始まると思うように結果を残せないことや、父のプレッシャーもありパニック障害に。
当時を振り返り
「おふくろからすると、父を見てるから。どれだけ大変か。野球選手として大成しないような資質。肉体的な部分、精神的な部分というのを見抜いていたのかな」
スポニチより
このように語っていました。
生前、母・亜希子さんから一茂さんに託されたことがあったそう。
“あなたね、いつか水辺を作りなさい”
第二次世界大戦の沖縄戦で英霊たちが散っていった、鹿児島県の知覧に噴水を作りなさいと言っていたそうです。
母が亡くなり数年後、ある時急に思い出した一茂さんは、母との約束を形にすべく動きました。
一茂は特攻隊員たちを慰霊する現地の施設に掛け合い、噴水の建設を提案した。「“これこれこういうことで、ご寄付をさせていただきたい。うちのおふくろが、英霊の人たちはお水が必要だから、僕とかそちらが発端となって、噴水を作りましょう”って。そしたら南九州市長までみんな来ちゃって。みんなで作りましょうって話になって」。地元も協力的で、22年には実際に噴水が完成したという。
スポニチより
無事噴水が完成した連絡があり、見に行きたいと思っていた矢先になんと石原良純さんが先に見に行ってしまったそう。
「ザワつく!金曜日」で共演した際に



この人が先に行っちゃったんだよ
と石原良純さんを指さし、スタジオには爆笑が起きたようです。



お母様の遺言、無事叶えることが出来て一安心ですね!


長嶋一茂の妹・長嶋有希
長嶋一茂さんの、妹・有希さんは一般人として生活しており詳細は公開していません。
長嶋一茂の妹
- 名前:長嶋有希(ながしま ゆき)
- 生年月日:1967年5月12日
- 学歴:立教女学院→アメリカ留学
- 現在:一般人として生活しているため、詳細非公開
長嶋家の長女・有希さんは、メディアにほとんど姿を現さない一般人として生活されています。
立教女学院を卒業後はアメリカに留学するなどエリートコースを歩まれましたが、現在の詳細は明かされていませんでした。
有希さんは幼少期から大変美しいと評判だったようで、とんねるずの石橋貴明さんが過去に



とんでもなく美人
とラジオ番組で語ったこともあったとか。
長嶋一茂の妹・長島三奈
長嶋一茂さんの妹・三奈さんは、スポーツキャスター・実業家として活躍しています。


長嶋一茂の妹
- 名前:長島三奈(ながしま みな)
- 本名:長嶋三奈
- 生年月日:1968年1月26日
- 学歴:日本大学文理学部哲学科卒業
- 職業:スポーツキャスター、実業家
- 主な活動:テレビ朝日「熱闘甲子園」キャスター(1998年~2013年)
15年キャスターを務めた熱闘甲子園
長嶋家の次女・三奈さんは1998年から2013年までの15年間、夏の風物詩「熱闘甲子園」でキャスターを務めました。





最初はスコアブックも付けられなかった
という三奈さんですが、次第に高校球児たちの熱い戦いに魅了され



17歳の選手たちに教えられた
と語るほどに。
地方大会から取材を重ね、選手一人ひとりのストーリーを丁寧に伝える姿勢が高く評価されています。
2017年には、第99回全国高等学校野球選手権大会の開幕試合で始球式を務めました。
父親の介護を献身的にサポート
2004年に父・茂雄さんが脳梗塞で倒れた際、三奈さんは仕事を調整しながら献身的に介護をサポート。
リハビリに励む父の姿を見守り続けています。
2025年6月に茂雄さんが逝去した際には、長男。一茂さんではなく三奈さんが喪主を。


通夜の挨拶では



長嶋家は毎日青空で、父が太陽のように笑顔をたくさん振りまいてくれました。
と話し感謝を伝えました。
名前は父の背番号から!
「三奈」という名前の由来は、父の背番号が「3」であることと、3番目の子女であることから名付けられたそうです。



父の愛情が込められた名前ですね
妹とのエピソード
かつて長嶋家では、一茂さんが父の愛用品を無断で売却したとの報道があり、三奈さんとの間に確執があると噂をされていました。
しかし、父・茂雄さんの葬儀で一茂さんと三奈さんが寄り添様子から「家族としての絆を取り戻した」と評価されています。
また、茂雄さんが亡くなった際の病室では



きょうだいとも会って、病室にみんな集まったけれど、泣いているきょうだいはいなかった。



笑い声さえ聞こえました
と語る一茂さん、その理由については
「最期は、病院でスタッフの医療従事者の方、先生や看護師さん、いろんな方にサポートされていた。(亡くなるまでの)最後の3年は病院だったんですけど、妹たちと話したのは、すごいきれいな、若い看護師さんがたくさんいた病院だった。妹なんかは『パパは幸せだよね。こんなきれいな看護師さんたちに見送られて』と。『あ、今、パパ笑ったね。きれいな看護師さんが来ると笑うね』とか(の会話があった)」
日刊スポーツより
と明かしています。
いつもポジティブで前向きだった父・茂雄さん。



そんなにしんみりしても、当然、親父は、喜ばないだろうなという気持ちでいます
と、父を思っての涙なしのお別れだったようです。
長嶋一茂の弟・長嶋正興
長嶋一茂さんの弟は、元レーシングドライバーで環境活動家の長島正興さんです。


長嶋一茂の弟
- 名前:長島正興(ながしま まさおき)
- 本名:長嶋正興
- 生年月日:1970年9月26日
- 身長:175㎝
- 体重:75㎏
- 学歴:アメリカ留学→暁星国際高等学校→駒澤大学経済学部卒業
- 職業:元レーシングドライバー、環境活動家
- 資格:環境管理士
父や兄とは別の道へ
高校時代までは野球部に所属していた正興さんですが、大学に入りレース活動を開始。
在学中の1992年頃から活動を本格化させ、全日本GT選手権などに参戦しています。
1999年から2000年にかけてアメリカへ渡り、アメリカンモータースポーツの最高峰である「インディカー・シリーズ」への登竜門、「フォーミュラ・アトランティックシリーズ」に参戦。
帰国後の2001年には、鈴鹿サーキットで行われた全日本GT選手権第6戦で、松田晃司さんと組んでトヨタ・MR-Sをドライブし、GT300クラスで優勝を飾りました。



まさか、初優勝を手に出来るとは思っていなかった。



この勢いを止めずに、MINEでも全力でがんばる
と正興さんは語っています。
レーサーから環境分野へ
2008年、38歳でレーシングドライバーを引退。
その後は環境管理士などの資格をとり、環境分野で活動の場を広げています。
この転身について正興さんは



地球環境のために何かできることはないか
という思いからだと語っていました。



素晴らしい考えですね!
苗字の表記が「長島」の理由
三奈さんと正興さんが「長島」表記を使用している理由については
戸籍上の表記が時期によって異なっていたから
だそうです。
長嶋一茂の祖父母・長嶋利/チヨ
長嶋一茂さんの祖父母は、長嶋利さんとチヨさんです。
長嶋一茂の祖父
- 名前:長嶋利(ながしま とし)
- 生没年:?~1954年
- 職業:千葉県印旛郡臼井町の収入役・助役
- 性格:質実剛健、直実な性格
- 備考:元々は農家出身だが、土地を貸し出して町の要職に
元々農業を営んでいた利さんでしたが、土地を他者に貸し出し臼井町の収入役や助役という職に就きました。
4人兄妹の末っ子だった茂雄さんを特別可愛がり、「野球で飯が食えるのか」という時代だったにも関わらず、息子の才能を信じ野球に夢中になることを温かく見守っていたと言われています。
利さんは茂雄さんが18歳の時に亡くなり、残念ながらプロ野球選手として大成する息子の姿を見ることはできませんでした。
長嶋一茂の祖母
- 名前:長嶋チヨ
- 生没年:1900年~1994年
- 備考:孫の活躍を長く見守り続けた
チヨさんは1994年、94歳で大往生を遂げました。
茂雄さんの読売巨人軍での大活躍や引退後の監督としての姿も長く見届け、孫・一茂さんがプロ野球選手になっ姿も見届けています。
祖母とのエピソード
チヨさんは、孫の一茂さん・有希さん・三奈さん・正興さんの成長をいつも温かく見守っていたそうです。
チヨさんは、息子一家がくらす田園調布の豪邸によく訪れていたそうです。
嫁・亜希子さんとの関係も良好だったと伝えられており、孫たちと家族団らんの時間を楽しんでいました。



たくさんの孫に囲まれてきっと幸せだったと思います。
長嶋一茂の外祖父・西村光雄/曽祖父・西村辰五郎
長嶋一茂さんの外祖父であり母・亜希子さんの父親の西村光雄さんは、内外出版社社長を務めていました。
長嶋一茂の外祖父
- 名前:西村光雄(にしむら みつお)
- 職業:内外出版社社長
- 備考:亜希子の父、出版業界のエリート
西村光雄さんは出版業界で成功を収めた実業家でした。
特にスポーツ関連の出版物が多く、野球界との繋がりも深かったと言われています。
光雄さんは、娘の亜希子さんを海外留学させるなど、当時としては非常に先進的な教育を施していました。
また、亜希子さんと長嶋茂雄さんの結婚に関しても、快く快諾したと言われています。
長嶋一茂の曽祖父
亜希子さんの祖父であり、一茂さんの曽祖父にあたる西村辰五郎さんは「西村陽吉」のペンネームで活躍した歌人です。
長嶋一茂の曽祖父
- 名前:西村辰五郎(にしむら たつごろう)
- ペンネーム:西村陽吉(にしむら ようきち)
- 生没年:1892年~1959年
- 学歴:高等小学校卒業
日本橋東雲堂書店に勤務し、のちに養子となります。
社会主義思想に基づく生活派短歌の歌人として知られていました。



光雄さんと長嶋家の結びつきも強く、孫たちの成長を温かく見守っていたそうですよ!
【長嶋一茂の家族構成】Q&A
まとめ
【長嶋一茂の家系図・家族構成】家族エピソードや妻や子供を徹底調査!についてまとめました。
長嶋一茂さんの家族構成は、まさに日本を代表する名門一族でした。
「ミスタープロ野球」の父・茂雄さん、4カ国語を操る才女の母、そしてそれぞれの道を歩む兄妹。
家族全員がグローバルな視野を持っており、現在海外留学中の双子の娘さんにも受け継がれているようですね。
「ミスター」の血を引く長嶋ファミリーの、今後の活躍にも目が離せなせん。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。






