中森明菜と近藤真彦の金屏風事件とは何があった?黒幕はメリー喜多川!

中森明菜さんと近藤真彦さんの「金屏風」会見は未だに謎が多く、その後の明菜さんの活動に影響される事件だったようです。

スポンサーリンク
目次

中森明菜と近藤真彦の金屏風事件とは何があった?

1989年12月31日に「金屏風事件」が起こりました。

中森明菜さんは近藤真彦さんと交際していたところから遡ります。

中森明菜・近藤真彦の交際とは?

1980年代アイドル全盛期では、アイドル同士の交際は御法度とされていましたが、二人は6年間交際をしていたようです。

出会いのきっかけ

歌番組「『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)での共演がきっかけで、電話番号を交換したと思われます。

画像に alt 属性が指定されていません。ファイル名: akina-match.jpg

1983年頃から交際が始まる

『ヤンヤン歌うスタジオ』(テレビ東京系)での共演からほどなくして交際が始まったそうです。

映画『愛・旅立ち』(1985年公開)の共演の時には既にお付き合いされていたと思われます。

明菜さんはデビュー前から近藤真彦さんのファンだったということなので、歌番組の共演で親しくなったと思われます。

明菜の実家に近藤真彦が訪れる

明菜さんは近藤真彦さんとお付き合いしていた時に、明菜さんの実家に近藤さんを連れて行ったようです。

明菜さんの実兄が打ち明けていました。

「明菜も一途でしたからね。“今度、ウチに呼んでもいい?”と明菜がマッチを実家に連れてきたんです。“何か飲み物はいる?”とか“暑くない?”って、明菜はマッチのことを常に気遣っていて本当に好きなんだなって感じていました。けれど、あんなことになってしまって……」

週刊女性より

明菜さんはご家族とは28年間にわたって音信していないようで、お兄さんも明菜さんのことは心配しているようです。

明菜さんの自殺未遂

1989年7月11日、中森明菜(当時24歳)は近藤真彦さん(当時24歳)のマンションで自殺未遂を起こします。

第一発見者は近藤真彦さんでした。

仕事を終えて自宅に戻った近藤真彦(24)が、浴室で血を流して倒れている明菜を発見し、「中森明菜さんが左手を切ってケガをしています」と119番通報。
左ひじの内側をカミソリで真一文字に切った明菜は慈恵医大病院に運ばれ、6時間に及ぶ緊急手術が施された。

なぜ、明菜は自殺未遂を起こしたのか?

理由-1

1989年2月、松田聖子さんと近藤真彦さんがニューヨークで密会というフライデー報道があった

松田聖子さんは、当時神田正輝さんと結婚をしていて、もし近藤真彦さんとの密会であれば「不倫」ということになります。

1989年6月、聖子さんは釈明会見で全くの事実無根と否定しました。

会見で聖子さんは「マッチは友達で男友達のような感じ」といい、「ホテルでは二人ではく複数いて、しかもフライデーの記者がわざとそのような写真をとった」という事実を述べていました。

聖子さんの半分笑いを取る記者会見は、さすがです。

そのことが原因かどうかは定かではありませんが、明菜さんは相当不安定な精神状態だったと思います。

理由-2

結婚したい明菜と結婚したくないマッチとの距離が広がる

当時、中森明菜は24歳、近藤真彦は25歳でした。

6年も交際していた明菜はすぐにでも結婚したかったようですが、マッチは30歳くらいまで自由でいたかったようです。

理由-3

金銭トラブルへ発展

明菜が「マッチとの新居のため」に1億円というお金を近藤側に購入費用として渡したそうです。

しかし、そのお金をマッチは自動車関連に使い果たしたという噂がありますが、
事実は黒幕は近藤真彦のマネージャーでした。

そのマネージャーで自身の借金返済に使ったということのようです。

最終的には、そのお金はジャニーズ事務所側が明菜の事務所に慰謝料として支払いしたそうです。

自殺未遂から半年後、金屏風事件が起こる

自殺から半年程度経った1989年12月31日、中森明菜さんと近藤真彦さんの二人の新高輪プリンスホテルで会見が行われました。

中森明菜と近藤真彦の金屏風会見

その会見は「金屏風」の前で行われ、後に「金屏風事件」と呼ばれます。

会見のセットが「金屏風」ということで「おめでたい会見」=婚約会見ではないかと捉えられました。

金屏風は事情を知らないホテル側が用意したにすぎないそうです。

会見での明菜さんは?

会場に現れた明菜さんはショートカットにカットされ、地味目はグレーのスーツを着て登場しました。

そして、明菜さんの謝罪会見が行われました。

謝罪会見の最初に、明菜さんから近藤真彦さんに、
「私なんかよりももっともっと、近藤真彦さんには辛い苦しみを与えてしまったと思います。
そのお詫びと、心からありがというと送らせてください。本当にどうもありがとう」と涙ながら語りました。

「私が仕事をしていく上で一番信頼しなきゃいけない人たちを、信頼することが出来なくなってしまった」

「(近藤真彦さんに)一番最初に見つけて欲しかった
「一番大切な人をこんなに傷づけることになって、どうしょもないバカだったと思います。」と語っていました。

明菜さんの涙ながらの会見とは対照的に、近藤さんは淡々と語っていたようです。

近藤真彦の言葉:
「(復帰会見)のお手伝いが少しでもできたことに、すごく喜びを感じています」
と、“自殺未遂騒動”には無関係であるかのような発言し、
結婚については、「そういうことはまったくありません」完全否定しました。

「そいういう(結婚という)ことはまったくありません」と否定した時の、明菜さんは今にも泣き出しそうな感じでした。

最後に友人としての握手をするということで終了した会見だったようです。

なぜ、この会見がセットされたのか?

ジャニーズ事務所が主導し、明菜さんを婚約会見ということで呼び寄せた説は嘘!

メリー喜多川さんはマッチが大のお気に入りということで、

マッチをあきらめてくれない明菜さんを婚約会見ということで明菜さんを呼び寄せたという説があったようです。

しかし、後にそうではなかったと判明しました。

明菜さんとマッチは、自殺未遂後、交際関係は終了していたそうで、明菜さんは全て納得した上で会見を受け入れたようです。

トップアイドル同士の交際

【画像】田原俊彦と中山美穂のハワイ旅行とは?破局理由が工藤静香!の記事はこちらをご覧ください。

黒幕はメリー喜多川さん!

明菜さんはデビューからお世話になった研音を辞めて、別事務所へ移籍します。

この事務所移籍騒動の黒幕がメリー喜多川さんではないかと言われています。

メリー喜多川による策略?

メリー喜多川は、自殺未遂した明菜の病室をよく訪れていたそうです。

その病室では、当時明菜が所属していた事務所「研音」について、

「お金を搾取している」などでっち上げ明菜を「研音」から退社に向かわせました。

事実は、「研音」は明菜に内緒で明菜の家族にお金の支援をしていたそうです。

しかし、明菜さんは「研音」を退所し、メリー喜多川の策略通りに、別の事務所に在籍します。

メリー喜多川の策略とは?
・メリー喜多川は、事態の収束を小杉理宇造氏(近藤真彦の元レコーディングディレクター)に依頼する
・小杉氏は、RVS時代の後輩である中山益孝に新事務所「コレクション」の代表に就かせた
中山氏はマネジメント経験が豊富ではない
・その「コレクション」に研音を退社した明菜が所属する
・「コレクション」の取締役は明菜、ワーナーの社長も名を連ねるが、小杉氏は役員には入らなかった

最終的に、明菜をマネージメント経験の浅い事務所に移したということになります。

なぜ、明菜さんにそこまでの策略をしたのかは、

近藤真彦の芸能活動を守ることが最優先だったからのようです。

明菜は小杉のサポートを期待していたが、小杉は役員には入らなかった。その後ろに控えていたメリーは、あくまでもジャニーズ事務所の副社長として、窮地に追い込まれた近藤の芸能活動を守ることを最優先に考えて動いた。

 ただ、百戦錬磨のメリーが、明菜のマネジメントを経験の浅い人物に委ねればどうなるのか。その結末を予測できなかったはずはない。

明菜さんは、その後、音楽活動、女優としても活躍していましたが、体調不良で芸能活動を休止します。

明菜さんにとって近藤真彦(マッチ)の存在は計り知れないほど大きかったのかと思います。

中森 明菜プロフィール

中森 明菜(なかもり あきな)
本名:中森 明菜(なかもり あきな)
生年月日:1965年7月13日(58歳)
出身地:東京都清瀬市
最終学歴:明治大学付属中野高等学校中退
活動:1982年〜(16歳)
事務所:HZ VILLAGE

中森明菜さんの復帰についての記事はこちらをご覧ください。

まとめ

「中森明菜と近藤真彦の金屏風事件とは何があった?黒幕はメリー喜多川!」についてまとめました。

・中森明菜さんと近藤真彦さんのお付き合いした
・明菜さんが近藤さんの浮気を疑う
・明菜さんの自殺未遂行為が発覚
・二人の金屏風記者会見(その時には既に破局していた)
・その後明菜さんは事務所を退社、体調不良で休養する

金屏風記者会見では婚約発表ではなかったことで、大きな衝撃で報道されたようです。

その黒幕はメリー喜多川さんだということも囁かれていたようです。

現在明菜さんは芸能活動も復活されています!

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

トップアイドル同士の交際

【画像】田原俊彦と中山美穂のハワイ旅行とは?破局理由が工藤静香!の記事はこちらをご覧ください。

目次