【家系図・家族構成】三代目JSB岩田剛典の実家は創業100年の老舗革靴マドラスと実家がご立派!
そんな岩田剛典さんの家系図を図解でわかりやすくまとめました。
岩田剛典の家系図・家族構成
岩田剛典さんの家系は、創業100年の老舗革靴メーカーのマドラスで名古屋の名家で、遠縁にはサントリーの創業家一族である佐治家にも繋がります。
家系図はこちらです。
家族構成は?
高祖父 | 初代岩田武七 | 岩田商会創業 |
曾祖父 | 2代目岩田武七 | 亜細亜製靴社長(現・マドラス)設立 |
祖父 | 岩田孝七 | マドラス株式会社二代目社長 |
父 | 岩田達七 | マドラス株式会社現社長 |
叔父 | 岩田栄七 | マドラス株式会社現会長 |
兄 | 岩田敏臣※ | マドラス株式会社 取締役 |
本人 | 岩田剛典 | 三代目J Soul Brothersのメンバー マドラス・NERD MIND(ナードマインド)のクリエイティブディレクター |
※岩田剛典さんの兄候補は2名いますので、兄の項目をご覧ください。
小林一三・松岡修造さんの家系はサントリー創業の鳥井家と遠縁であるため、岩田剛典さんと松岡修造さんも遠い遠縁にあたります。
繋げていくと遠縁になるものですね!
岩田剛典プロフィール
NHK朝ドラ「虎に翼」花岡悟 役で出演中!
岩田 剛典(いわた たかのり)
ダンサー・俳優・歌手
生年月日: 1989年3月6日
出身地: 愛知県名古屋市
血液型: B型
身長: 174cm
慶應義塾大学法学部卒業
2010年(大学4年):三代目J Soul Brothersのメンバー決定し芸能界入りする
2013年:舞台「あたっくNo.1」にて俳優デビュー
事務所:LDH JAPAN
参加グループ
2010年11月10日〜:三代目 J SOUL BROTHERS from EXILE TRIBE
2014年4月27日〜:EXILE
2015年 – 2017年:HE Sharehappi from 三代目 J Soul Brothers from EXILE TRIBE
中学校から大学まで慶応
小学校:名古屋市立陽明小学校
中学:慶應義塾普通部
高校:慶應義塾高等学校
大学:慶應義塾大学法学部政治学科
小学校時代
祖父・父も慶応で幼い頃から「慶応に入りなさい」と言われてたそうで、小学校高学年から塾通いをして慶応中学に合格しました。
中学校時代
地元の名古屋から母親と一緒に東京で暮らすことになります。
バスケット部と空手部に入っていたようですが、あまりやる気がでなくて頑張りきれなかったそうです。
高校時代
高校時代は、がっつり部活をやりたいと思いラクロス部に入部し、部活に打ち込んでU19の日本代表候補にも選ばれたそうです。高校3年でラクロス部を引退後はダンスにのめり込みます。
ダンスと出会う
デビッド・ラシャペルの「RIZE」という映画を見て、ダンスに衝撃を受ける
「RIZE」では、クランプというダンスが登場し、クランプに魅せられて、踊れるようになりたいと思ったそうです。
高校3年の文化祭で、初めて人前でダンスを披露する
ラクロス部を引退後、仲間とチームを組んで「華々しいステージにしようぜ!」と文化祭のステージを目標に、独学でダンスの猛練習を始めました。
慶応高校の文化祭はとても盛大で、ステージに立ったときの高揚感は一生忘れられなくなったようです。
大学ではラクロス部の誘いはあったようですが、ダンスをやろうと高校卒業したときに決めたそうです。
大学時代
大学では、ダンスサークルに入り、ダンス三昧の日々を過ごしたようですが、ミスター慶応のファイナリストにも選出されました。
・大学2年:ダンス番組「スーパーチャンプル」に出演
・「ミスター慶應コンテスト2009」でファイナリスト
就職活動
様々な会社にエントリーシートを提出し、日本テレビのアナウンサー試験を受けるしていたようです。
大学4年の4月に大手企業から内定をもらいます。
日本テレビは、エントリーシートは通って一次面接で落とされましたようです。
大学4年の夏休みに転機が!
三代目J SOUL BROTHERSのオーディションを受ける
ダンスを通して知りあった小林直己さん(現在の三代目メンバー)から三代目J SOUL BROTHERSのオーディションに誘われました。当時、EXILE以外でダンスで成功したアーティストはまれで、迷いましたが、一度きりのチャンスだと思い受けたようです。
そしてオーディションに無事合格します。
「内定」を断りダンサーの道へ
オーディションに合格し、親の期待に背くことを考えましたが、芸能界への決意は揺るがなかったようです。
就職内定を辞退し、親の反対を受けましたが、自分の道を選びました。
その時のことをインタビューで答えていました。
もともと両親は、僕の芸能界入りに反対だったんです。大学卒業時に企業の内定を蹴って芸能活動をすると告げた際、母は号泣していました。それはそうですよね。安定した職に就けるように中学受験までさせた息子が、何が起こるかわからない芸能界を選んだわけですから。
今でも、内定先に就職した自分の姿を想像することがあります。ただ、10年も同じ会社で働いているイメージはなくて。興味のあることが出てきたときに、自分でやりたくなってしまうと思う。そう考えると、わりと早い段階で独立し、仲間と何か新しい事業を始めていたのではないでしょうか。
僕はきっと、ワクワク感が消えた途端に活動意義を見失うタイプなんです。だから常に茨の道と言いますか、「失敗するかもしれないよ?」という場所に身を置いて、あえてスリルを味わっているという自覚があります。(笑)
婦人公論より
当時国内トップクラスの大手企業で担当者から「内定を断ったのは君が初めて」といっていたそうです。
ミスター慶応にも選出されているということは、大学時代も相当イケメンだったんでしょうね!
マドラスのクリエイティブディレクターに就任
三代目 J SOUL BROTHERS のメンバーとは別に、「マドラス」の新ブランドのクリエイティブディレクターの顔をもっています。
“NERD MIND=オタクマインド=職人気質” をコンセプトに掲げ、日本で作るハイクオリティかつ
細部までに拘りを宿したレザーシューズを提案していく。
初の朝ドラ出演「虎に翼」
【岩田剛典コメント】
初めての連続テレビ小説への出演で、 当時の厳しい時代を生き抜いた若者を演じられるこの機会を与えて頂き、心から感謝しております。
情熱あふれる法曹たちの物語に飛び込むことがいまから楽しみでなりません。精一杯努めさせて頂きます。
皆様よろしくお願いいたします!!
役名 / 花岡 悟
社交的で学生たちの中心的な存在。女子部卒の学生たちにも心を開き、轟をいさめながら寅子たちと行動を共にする。女性から大人気で、寅子にとっても気になる存在。
「虎に翼」のモデル三淵嘉子さんについてこちら>>
現在、ペプシのCMに出演しています。
父・岩田達七について
岩田 達七(いわた たつしち)
生年月日:1950年
出身地:愛知県
学歴:慶應義塾大学経済学部卒業
1973年大学卒業後、マドラス(旧・亜細亜製靴株式会社)入社
1980年:マドラス取締役
1984年:マドラス代表取締役
2010年:マドラス代表取締役社長
兄
岩田剛典の兄には2人の人物の名前が挙がっています。
様々な条件より岩田敏臣が兄の確立が高いと思われます。
岩田剛典の兄
・年齢差3つ
・家業を継いでいる
・2015年結婚
・結婚のお相手:フジメディアホールディングス社長・嘉納修治の娘さん
2015年5月の結婚披露宴には三代目メンバー全員が出席したそうで、余興で彼らの曲をパフォーマンスし会場内は大興奮だったそうです。
兄・候補①岩田敏臣
岩田剛典さんの兄候補の一人目は岩田敏臣さんです。
岩田敏臣(いわた・としおみ)
1985年生
現在:マドラス株式会社 取締役 紳士事業本部長 オムニチャネル事業推進・広告宣伝担当
新卒で広告代理店入社
ABCマートでのアルバイト販売経験しアドラスへ入社
アドラスへ入社後は、驚異的な速度で出世し、取締役本部長として広告宣伝などの業務に携わっているようです。
岩田剛典さんと似ている感じがします。
兄・候補②岩田公一
岩田公一(いわた・こういち)
生年月日不明
地元の名門・東海高校を卒業
大学不明
マドラスグループの下呂温泉湯之島館・代表取締役社長
「下呂湯ノ島館」
昭和6年(1931年)創業
登録有形文化財にも指定されている超老舗旅館
場所:下呂駅周辺にある温泉街の一角・5万坪
天皇陛下もお泊りになられたことがあるとか。由緒正しく格式高いお宿
兄候補が2名いますが、岩田敏臣の確立が高いと思います。
公一さんは、従兄弟の可能性もあります。
祖父:岩田孝七(マドラス元社長)
岩田孝七
生年月日:1916年(大正5年)2月
1937年(昭和12年)国立名古屋高等商業学校(現・名古屋大学経済学部)を卒業後、亜細亜製靴株式会社(現・マドラス)に入り、直ちに専務に就任
1948年:社長就任
1965年:イタリアの世界的高級靴メーカー「マドラス社」と技術提携
1983年:マドラスブランドの全世界の製造販売権をイタリア・マドラス社より取得し、社名をマドラス株式会社に変更
受賞歴
・1976年:藍綬褒章
・1984年:瑞宝章
・1984年:従五位
マドラスの生みの親(高祖父・曾祖父)
岩田家の先祖は、元々酒造業を営んでいた家系で、マドラスの基礎を築いた生みの親は初代・岩田武七さんとなります。その後、2代目・岩田武七さんがマドラスの前進となる亜細亜製靴株式会社へ発展させました。
初代・岩田武七(岩田剛典の高祖父)
生年月日:1847年5月1日生まれ(68歳没)
愛知県中島郡東五城村
代々酒造業を営む裕福な家系(次男の生まれ)
酒造業は兄が引き継ぐ
「岩田商会」を創業
初代・岩田武七さんは、「岩田商店」を愛知県名古屋市で創業し、陸軍に小間物商品(靴のパーツなど)を売ることで成功しました。
その後、事業を拡大し、1911年ガス事業「犬山ガス会社」を設立(現在・犬山ガス株式会社:愛知県犬山市)しました。犬山市のライフライン事業として現在も続いています。
2代目・岩田武七(岩田剛典の曾祖父)
襲名前の名前:岩田正治郎
生年月日1884年6月
1915年(当時31歳):父親田武七さんが68歳で死去すると、家を継ぎ2代目岩田武七と襲名
マドラスの前進となる亜細亜製靴株式会社を設立
襲名した年は31歳と若かったのですが、商人としての才を発揮します。
2代目・岩田武七さんは、会社名を「岩田機械株式会社」と変更し法人化します。
そして、陸軍に小物を卸していたこれまでの家業に加え、新たに軍靴の底に付ける金具を可鍛鋳鉄で作り、1921年マドラスの前進となる亜細亜製靴株式会社を設立します。
その後、本社の工場を3倍にまで拡張し、事業規模を拡大していったようです。
1948年に息子・岩田孝七(岩田剛典の祖父)が社長に就任します。
1959年(昭和34年)に「亜細亜製靴」から「アジア製靴」に改称、そしてイタリア・マドラス社との技術提携します。
美しく、履き心地に優れた革靴ブランド「マドラス」は、アジア製靴の代名詞と言える存在にまで成長していきます。1983年に社名をマドラス株式会社へと変更しました。
まとめ
岩田剛典さんの家族構成を調べましたが、お金持ち・お坊ちゃまということは間違えないようですね。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。