高市早苗新総裁の下で内閣官房長官に就任し、注目度が一気に高まっている木原稔さん。
防衛大臣しても活躍していた姿も記憶に新しいですよね。
政治家としての実力もさることながら、プライベートが気になっている方も多いのではないでしょうか。
今回は、そんな木原稔さんの家族構成や家系図を分かりやすく図解で解説します。
木原稔の家族構成・家系図
木原稔さんは、父親・母親・本人・弟の4人家族
木原稔さんの家族は、父・母・本人・弟という家族構成です。
| 続柄 | 名前 | 備考 |
|---|---|---|
| 父 | 木原慶徳 | 2022年6月逝去、享年82 |
| 母 | 聖子 | 一般の方 |
| 本人 | 木原稔 | 1969年8月12日生まれ |
| 弟 | 非公開 | 3歳年下、身体・知的障害あり |
| 妻 | 木原由紀子 | 早稲田大卒、元JAL国際線CA |
木原稔の家系図

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木原稔の実家は?
木原稔さんの実家は、熊本県熊本市中央区の出水(いずみ)エリアにあります。
熊本市といえば熊本城のお膝元で、自然も豊かで穏やかな土地柄。
木原さん自身も地元愛が強く、政治活動でも「熊本のために」という言葉を何度も口にしています。
出水エリアは江津湖という美しい湖の近くで、木原さんは子供の頃からこの江津湖を遊び場にしていたんだとか。
木原稔心の故郷
とまで語っており、地元との絆の深さが伝わってきますね。
実家:熊本県熊本市中央区
実家はお金持ち?
おそらく、特別なお金持ちではなく「一般的な家庭」だと思われます。
政治一家や財閥系の家系ではなく教育熱心な普通の家庭で、息子を早稲田大学に進学させたことを考えると、堅実で真面目な家風だったのではないでしょうか。
世襲ではなく、自分の力で国会議員にまで上り詰めた木原さん、努力家の一面が光りますね!
木原稔のプロフィール


本名:木原稔(きはら みのる)
生年月日:1969年8月12日
出身地:熊本県熊本市
学歴:早稲田大学教育学部国語国文学科卒業
所属政党:自由民主党
当選回数:衆議院6期
主な役職:内閣官房長官(第90代)、元防衛大臣
趣味:ボート、江津湖での散歩
政治家になるまでの道のり
高校時代はハンドボール部主将として活躍、大学は早稲田大学に進学しています。
大学時代にはサークル「早稲田ラーメン党」を結党し、初代党首に就きました。
今でもSNSにラーメンの写真が投稿されています。
1993年、日本航空株式会社(JAL)に入社。
パイロット訓練性として入社しましたが、客をのせた旅客機の操縦までは至らなかったとか。


しかし、この民間企業での経験が後の政治活動に活きているのは間違いないですね。
2005年に初当選
木原さんは、2005年9月の第44回衆議院議員選挙にて初当選を果たします。


以降6回当選し
- 防衛大臣政務官
- 自由民主党青年局長
- 文部化学区部会長
- 財務副大臣
- 内閣総理大臣補佐官
などを務めました。
2023年9月から2024年10月まで防衛大臣を務め、2025年10月より高市早苗内閣で、内閣官房長官に就任しています。


木原稔の妻・木原由紀子
木原稔さんの妻は、元客室乗務員の木原由紀子さんです。


木原稔の妻
- 名前:木原由紀子(きはら ゆきこ)
- 出身地:岐阜県可児市
- 学歴:早稲田大学第一文学部卒業
- 職業:日本航空の元国際線客室乗務員
夫との出会いはJAL
由紀子さんは早稲田大学第一文学部を卒業後、日本航空(JAL)で国際線の客室乗務員として活躍していました。
木原さんとは、JALに同期入社で早稲田大学出身という共通点もあり、すぐに意気投合したそうです。
夫のサポートの為に退職
木原さんが初めて衆議院選挙に出馬することになった際、由紀子さんは華やかなCA生活を手放して夫を支える決断をしました。
くまもと経済本社を訪れ



主人の衆議院議員立候補で、日本航空を退職、熊本に参りました。



どうぞ、お引き立てを
と挨拶しこのように語りました。
「日航を退職したところ、突然の衆議院解散。いま、自民党の友好団体を回っているところですが、選挙は大変だなあと感じています。選挙まであと1か月、あまりに時間が足りないんです。ただ熊本は子供の頃から、響きが良く憧れの土地でした」と語った。
くまもと経済より



熊本は響きが良くて憧れの土地でした
夫を支える覚悟が凄いですね!
2025年現在は熊本で夫を陰で支える良き妻として知られており、2023年には園遊会に夫婦で出席した様子が「素敵な夫婦!」と話題になりました。
木原稔の父・木原慶徳
木原稔さんの父親は一般の方で、生年月日や職業など公開されていません。
木原稔の父親
- 名前:木原慶徳(きはら よしのり)
- 出身地:福岡県
- 逝去:2022年6月29日(享年82)
- 生年月日:1940年頃と推測
父とのエピソード
父・慶徳さんとの情報はほとんど公開されていませんが、息子の稔さんが早稲田大学に進学していることから教育を重視する家庭だったことがうかがえます。
政治家一家では無く一般的な家庭で育った木原さんが、自力で国会議員になったのは父の教育方針があったからこそかもしてませんね。
木原稔の母・聖子
木原稔さんの母親は一般の方で、生年月日や職業など公開されていません。
木原稔の母親
- 名前:聖子(せいこ)
- 特徴:家族のために尽くしている
母とのエピソード!
木原さんには、身体と知的の両方に障害を持つ弟がおり、母は毎日弟を遠方の養護学校に送迎していました。
母のこの献身的な姿を見て、木原さんは福祉行政に関心を持ち政治家を志すようになったそうです。
かつて弟さんがお世話になった先生と25年ぶりに再会したという木原さん。
現在は校長先生になっていて、母と共に当時を懐かしんだそうです。
木原稔さんには、とても家族思いという一面も。
幼少期から母が弟を支える姿を間近で見てきたからこそ、家族の絆を大切にする姿勢が芽生えたのかもしれませんね。



お母さんはきっと大変な毎日だったと思いますが、その姿を見て息子が政治家を志したのは嬉しい事ですね!
木原稔の弟
木原稔さんの弟さんは一般の方で、詳細な情報は公開されていません。
木原稔の弟
- 名前:非公表
- 生年月日:木原稔さんの3歳年下(1972年頃と推定)
- 出身地:熊本県熊本市
- 特徴:身体障碍、知的障害
- 松橋養護学校に通学していた(現在の名称は異なる可能性あり)
初当選の1期目で即実行
木原さんは初当選した1期目に、障害者自立支援法の成立に関わりました。



経済成長で稼いだお金を、弱い立場の人たちに回していく
という信念の元、すぐに行動に移しています。
弟とのエピソード
木原さんが政治家を目指した最大の理由は、障害のある弟の存在でした。



障害のある弟が自分で稼ぎ、生きがいを持てるようにしたい
という思いから政治の道を進むことを決意。
学生時代から



社会的弱者や障害を持つ人、その家族の側に立った政治をしたい
と決意していたそうです。
木原さんは自身のブログで



私の弟も持っています
と障害者手帳について言及しました。
- 身体障害
- 知的障害
- 精神障害
の三障害が対象で、様々な福祉サービスを受けることができると紹介しています。



当事者家族だからこその視点ですね!
【木原稔の家族構成】Q&A
まとめ
【木原稔の家系図】妻は元CA!子供はいない?家族構成まとめについてまとめました。
木原稔さんの家族についての情報はほとんど公開されていませんでしたが、障害を持つ弟さんを皆で支える温かい家族なのではないでしょうか。
幼少期は弟さんばかりに両親の手がいき寂しい思いをしたこともあったかもしれませんが、弟を大切に思い障害を持つ人のために立ち上がったのは素晴らしいことだと思います。
内閣官房長官としての、木原稔さんの今後のさらなる活躍に期待したいです。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。



