【虎に翼】岡田将生・星航一のモデルは?三淵乾太郎で職場恋愛!相関図も

星航一のモデル三淵乾太郎について

ネタバレ注意!『虎に翼』寅子(モデル三淵嘉子)の再婚相手・星航一を岡田将生が演じます。

モデルである三淵乾太郎(みぶちかんたろ)はスレンダーでイケメン、そして嘉子とは職場恋愛!

そんな三淵乾太郎と嘉子との出会いから晩年、家系図、ドラマと史実の相関図を紹介します。

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目次

【虎に翼】岡田将生が演じる星航一のモデルは?

寅子の2番目の夫となる岡田将生が演じる星航一のモデルは三淵乾太郎(みぶちかんたろう)です。

三淵乾太郎さんは初代最高裁長官・三淵忠彦の長男で、前妻を病気で亡くし、1男3女の4人の子供を育てていました。

三淵乾太郎(みぶちかんたろう)

  • 生年月日:1906年(明治39年)12月3日生まれ
    嘉子の9つ上
  • 没年:1985年8月22日(78歳没)
  • 三淵家:会津藩末裔
  • 父親:初代最高裁長官・三淵忠彦さん
    乾太郎は長男
  • 前妻:三淵祥子(病死)
  • 子供:前妻との間には4人の子ども(1男3女)
  • 1956年(50歳):嘉子と再婚
    当時の役職:最高裁調査官
    のち浦和地裁所長

ドラマ「虎に翼」では岡田将生さんが演じる↓

星航一役(史実:三淵乾太郎)を演じる岡田将生

ドラマ「虎に翼」と史実の相関図

三淵嘉子と三淵乾太郎の関係を、ドラマ「虎に翼」と史実の相関図でわかりやすく解説します。

二人を取り巻く登場人物は、嘉子の恩師である穂積教授と、乾太郎の父・三淵忠彦が登場します。

ドラマ「虎に翼」と史実の相関関係の図
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無断複製、転載、転用、改変等が判明した場合は、法的措置をとる場合がございます。
ドラマ「虎に翼」役者史実(モデル)
和田寅子(後に星寅子)伊藤沙莉三淵嘉子
星航一(寅子の再婚相手)岡田将生三淵乾太郎
星 朋彦(航一の父)平田満三淵忠彦
穂高 重親(寅子の恩師)小林薫穂積陳重

三淵嘉子さんの家系図・生涯についてはこちら>>

三淵乾太郎と三淵嘉子は職場恋愛だった!

三淵乾太郎と嘉子は共に裁判官判事で、今で言う「職場恋愛」でした。

職場では、素敵なカップルと噂されていたようです。

嘉子の退社時間に判事室に訪れるスレンダーな紳士は誰だろう

嘉子さんへの愛情があふれているように見える

このように周りからも思われていたようです。

ハイスペックな職場恋愛!

さてそんな二人の出会いはどんなだったのでしょうか?

三淵乾太郎と三淵嘉子の出会いは?

三淵嘉子は故・三淵忠彦さんの弔問で乾太郎さんと出会う

嘉子は、東京で判事として活躍している時、最高裁調査官であった三淵乾太郎(みぶちかんたろう)と出会いますが、父である三淵忠彦さんと先に出会っていました。

出会いのエピソード

最高裁長官の三淵忠彦さんは明治大学の穂積教授(嘉子の恩師)から嘉子のことを聞いていて、興味があったそうです。

そして1948年頃、嘉子は最高裁長官の三淵忠彦さんの民法本の改訂作業などの手伝いをして親交を深めました。

しかし1950年に三淵忠彦長官は亡くなってしまいます。

その時、嘉子はアメリカを訪問していましたが、帰国後すぐに三淵家を弔問します。

その弔問した時に息子の乾太郎に出会ったそうです。

【画像】三淵乾太郎と三淵嘉子は再婚する

1956年に嘉子と乾太郎は再婚します。

1956年8月、嘉子41歳、乾太郎50歳の時に結婚(再婚)しました。

再婚後、嘉子は和田から三淵姓となります。

1956年、嘉子と夫・三淵乾太郎さん(画像:Photofolioより)

イケメンですね!

再婚後は、それぞれの連れ子を合わせると5人の子供となりました。

三淵乾太郎の連れ子
・長女:那珂
・次女:奈津
・三女:麻都
・長男:力

三淵乾太郎は嘉子の息子・和田芳武の継父となりました。

三淵嘉子の連れ子
・長男:和田芳武(1943年生まれ)
麻布高校・東京大学卒業後、医科学研究所で寄生虫について研究
2020年に逝去

三淵乾太郎と三淵嘉子の家系図

三淵嘉子・三淵乾太郎の家系図を図解でわかりやすくまとめました。

三淵嘉子・三淵乾太郎の家系図・家族構成
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無断複製、転載、転用、改変等が判明した場合は、法的措置をとる場合がございます。

三淵乾太郎と三淵嘉子の晩年は?

神奈川県小田原の三淵邸・甘柑荘(かんかんそう)で、嘉子と夫・三淵乾太郎さんは晩年過ごしました。

晩年は、家族で旅行やマージャンを楽しんでいたそうです。

甘柑荘で過ごす嘉子と夫・三淵乾太郎さん(画像:Photofolioより)
画像:Photofolioより

甘柑荘(かんかんそう)
住所:神奈川県小田原市板橋822

  • 夫・三淵乾太郎さんの父、三淵忠彦さん(初代最高裁判所長官)が、昭和初期に別荘として建てた近代数奇屋風住宅
  • 甘柑荘の呼び名は、庭に植えられた密柑(みかん)や檸檬(レモン)、金柑(きんかん)などに由来
  • 神奈川県小田原市にあり、ご子孫の方が保存する歴史ある建物
  • 特別公開時にはお茶席が設けられる

嘉子と乾太郎は最期まで寄り添う

穏やかな晩年生活もつかの間、1982年、嘉子は癌が見つかってしまいました。

癌は全身に転移しており凄まじい闘病生活の末、嘉子は1984年(享年69歳)で逝去されました。

その翌年の1985年に、夫・三淵乾太郎(享年78歳)は亡くなりました。

三淵乾太郎さんの死因は特に公表されていませんが、嘉子が亡くなった翌年に亡くなるということは、嘉子さんの後を追って逝ってしまったのかもしれません。

切ないですがとても深い愛情を感じますね。

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