三屋裕子の結婚しない理由3選!夫や子供はいなく独身!

三屋裕子の結婚しない理由3選!夫や子供はいなく独身!

元バレーボール選手で現在はバスケットボール協会の会長や企業の取締役など幅広く活躍されている三屋 裕子さん。

今でも美人な三屋裕子さんの結婚など家族関係はどうなのか気になりますね。

しかし、三屋さんは結婚してなくて独身だそうです。その理由について深掘りしました。

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目次

三屋裕子の結婚しない理由3選!夫や子供はいなく独身!

三屋 裕子(みつや ゆうこ)
生年月日:1958年7月29日
出身地:福井県勝山市
身長:177cm
元女子バレー選手

三屋裕子さんは、結婚していなくて夫や子供はいません。

結婚歴もなく独身です。

三屋さんはバレーボール選手だった時は日本代表として活躍し、名門日立女子バレーボール部という輝かしい選手でした。

若い頃から美人アスリートとして有名で、引退後も美貌やスタイルは健全

引退後も大手下着メーカー・シャルレの社長に就任するなど、仕事は順調。

1993年(当時35歳)サリドンCMに出演↓

1998年(当時40歳)↓
筑波スポーツ科学研究所副所長に就任
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)理事に就任

画像:http://www.cipher3.co.jp/history.htmlより

しかし家庭を作るということはされなかったようです。

出会いもありそうなのに・・と勘ぐってしまいますが、熱愛報道もなく独身を貫いています。

三屋裕子さんの結婚していない理由は2つあるようです。

理由①仕事が多忙過ぎた

仕事が忙しすぎてプライベートの時間が無く結婚をしなかった

1993年(当時:35歳)画像:http://www.cipher3.co.jp/history.htmlより

三屋裕子さんは現役を引退後、順調に仕事をしていて、プライベートを充実させる時間が無かったのかもしれません。

バレーボールの経歴

日立女子バレーボール部所属

  • 1981年-1984年日立女子バレーボール部に所属

全日本代表選手

  • 1979年:全日本入り
  • 1983年:アジア選手権優勝
  • 1984年:ロサンゼルスオリンピック銅メダル獲得 →現役引退

現役を引退後の三屋裕子さんの活躍

役職歴
  • 1985年:学習院大学の教員(1990年まで)
  • 1990年:筑波大学非常勤講師・東京学芸大学非常勤講師
  • 1993年:慶應義塾大学非常勤講師
  • 1994年:株式会社サイファ設立
  • 2004年:大手下着メーカー・シャルレの社長就任
  • 2006年:日本プロサッカーリーグ理事
  • 2007年4月:日本バレーボール協会理事
  • 2013年4月:同協会女子育成強化委員会ディレクター就任
  • 2014年6月:日本バレーボール協会評議員
  • 2015年5月:日本バスケットボール協会副会長就任
  • 2016年6月:日本バスケットボール協会会長就任
  • 2017年5月:国際バスケットボール連盟理事就任
  • 2020年6月:日本バスケットボール協会会長再任
  • 2021年6月:日本オリンピック委員会副会長
  • 2023年6月:日本航空(株) 社外取締役就任
  • 2023年7月:東京2025世界陸上財団評議員

こんなに毎年役職を与えられたら、プライベートの時間が無くなりますね。

三屋裕子はなぜバスケ協会会長なの?川淵三郎からの推しだった!についての記事はこちらをご覧ください。

理由② キャリアを優先にした

キャリアを優先して結婚を選ばなかった

画像:http://www.cipher3.co.jp/history.htmlより

三屋裕子さんは、結婚について当時の時代背景もあり葛藤があったようです。

三屋さんは女性とクリスマスケーキについて話し自身の結婚について語っていました。

1980-1990年代の一般的な結婚への考え方(ステレオタイプ)

・女性は「クリスマスケーキ」といわれ24歳を過ぎたら売れ残る
・そのため、4年生の大学に行くと婚期が遅れると言われていた

さらに三屋さんの場合、オリンピックに出場したら「本当に嫁に行けないぞ」と言われていたそうです。

そして、1984年のロサンゼルス・オリンピックから戻ってきて働くことを決めると、

三屋さんのお母さんはがっかりしたと語っていました。

その時代に、結婚ではなく自身の仕事としてのキャリアを選ぶということは非常に珍しかったようです。

三屋さんは、自身の選んだ道(キャリア)への葛藤があったようです。

15歳のときに自分の人生を決めてしまったことが大きいと思います。15歳から親元を離れて、東京で生活することを決断しました。自分の人生を賭けたようなところがあります。結婚のチャンスもありましたが、自分で選択してキャリアを優先してきたので、後悔はありません。

結婚しても面白かったかなと思うときもありますが(笑)。

https://www.joc.or.jp/about/women-leader/interview/mitsuya_yuko.htmlより

今の時代だったら少しは変わっていたかもしれませんね。
仕事か結婚かの2択は相当辛いですね・・・

理由③結婚のタイミングを逃した

現役時代の恋愛がタブーで結婚のタイミングを逃した

1986年ロサンゼルスオリンピックで銅メダルを獲得

三屋裕子さんはバレーの現役時代は、競技に影響を与えるとして恋愛をタブー視されていたようです。

現在はそのようなことはないかと思います。

現役時代は一番女性として出会うチャンスもある時期でしたが、その時期を恋愛を遠ざけていたのかもしれません。

三屋裕子さんは26歳で現役を引退しましたが、その後の出会うチャンスが無かったのかもしれませんね。

結論:三屋裕子が結婚しない理由はキャリアの高みを手に入れた!

現役時代にキャリアを優先し、そして引退後は多忙な仕事ということで

恋愛が入る隙間がなかったようですね。

現役時代:恋愛しない
→キャリアを選ぶ決意
オリンピックの銅メダルを獲得
引退後:多忙な仕事
キャリアで成功し幅広い活動をしています!

キャリア(バレー選手・その後の仕事)では、普通の人が見れない景色を見ている三屋裕子さんは、結婚とは違う形で幸運を掴んでいるのかと思います。

三屋裕子さんは、キャリアの高みを手に入れてますね!

三屋裕子プロフィール

三屋 裕子(みつや ゆうこ)
生年月日:1958年7月29日
出身地:福井県勝山市
身長:177cm
元女子バレー選手

三屋 裕子さんは中学からバレーボールを始めます。

中学:福井県勝山市立勝山中学校
高校:八王子実践高校
大学:筑波大学体育専門

バレーボールの経歴

日立女子バレーボール部所属

  • 1981年-1984年日立女子バレーボール部に所属

全日本代表選手

  • 1979年:全日本入り
  • 1983年:アジア選手権優勝
  • 1984年:ロサンゼルスオリンピック銅メダル獲得

現役を引退後の三屋裕子さんの活躍

役職歴
  • 1990年:筑波大学非常勤講師・東京学芸大学非常勤講師
  • 1993年:慶應義塾大学非常勤講師
  • 2004年:大手下着メーカー・シャルレの社長就任
  • 2006年:日本プロサッカーリーグ理事
  • 2007年4月:日本バレーボール協会理事
  • 2013年4月:同協会女子育成強化委員会ディレクター就任
  • 2014年6月:日本バレーボール協会評議員
  • 2015年5月:日本バスケットボール協会副会長就任
  • 2016年6月:日本バスケットボール協会会長就任
  • 2017年5月:国際バスケットボール連盟理事就任
  • 2020年6月:日本バスケットボール協会会長再任
  • 2021年6月:日本オリンピック委員会副会長
  • 2023年6月:日本航空(株) 社外取締役就任
  • 2023年7月:東京2025世界陸上財団評議員
現在の役職
  • 筑波スポーツ科学研究所副所長
  • 学校法人藤村学園(東京女子体育大学)理事
  • 一般財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会顧問
  • 全日本IDバレーボール連盟顧問
  • 福井ふるさと大使
  • 公益財団法人日本バスケットボール協会 会長
  • 国際バスケットボール連盟理事
  • 株式会社福井銀行取締役 (社外)
  • JXTGホールディング株式会社 取締役 (社外)
  • 株式会社 デンソー 取締役 (社外)

三屋裕子さんはスポーツの世界だけでなく、ビジネスの世界でも幅広く活躍されていますね。

三屋裕子の実家・家族構成は?

三屋裕子さんの実家は製麺所を経営されています。

学校給食指定工場三屋製麺所
所在地:福井県勝山市立川町1丁目16-10

学校給食にも採用されている製麺会社です。

三屋裕子の家族構成は?

父親:三屋清治さん
母親:三屋鶴子さん

まとめ

「三屋裕子の結婚しない理由3選!夫や子供はいなく独身!」についてまとめました。

三屋裕子が結婚しないのは、

「多忙すぎ」「キャリア優先」「タイミングを逃した」が理由だと考えられます。

しかし、三屋さんは仕事が出来る女性の筆頭で、今後も幅広く活躍してほしいです!

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

三屋裕子はなぜバスケ協会会長なの?川淵三郎からの推しだった!についての記事はこちらをご覧ください。

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