”モッくん”の愛称で親しまれ、元シブがき隊のメンバーから実力派俳優へと華麗な転身を遂げた本木雅弘さん。
実家はなんと、江戸時代から15代も続く由緒正しき米農家で、歴史ある名門の家柄です。
また義父母は、内田裕也さん、樹木希林さんという豪華すぎる家族構成。
そんな本木雅弘さんの家族構成や家系図を分かりやすく図解で解説します。
本木雅弘の家系図・家族構成
本木雅弘は、父親・母親・兄・本人・弟の5人家族
本木雅弘さんの家系図は、芸能界屈指の華麗なる一族と言っても過言ではありません。
代々続く実家元木家の農家から始まり、1995年に内田也哉子さんと結婚し内田家に婿入り、3人の子供にも恵まれさらに豪華な家系図となりました。
続柄 | 名前 | 職業・その他 |
---|---|---|
祖父母 | 不明 | 代々続く農家 |
父 | 本木昭 | 農業・教師 |
母 | 本木さき子 | 農業 |
兄 | 非公開 | 実家の農業を継承 |
本人 | 本木雅弘 | 元シブがき隊・俳優 |
弟 | 非公開 | 1歳年下、一般企業 |
妻 | 内田也哉子 | エッセイスト・翻訳家 |
長男 | 内田雅楽(UTA) | モデル |
長女 | 内田伽羅 | 女優 |
次男 | 内田玄兎 | 学生 |
義父 | 内田裕也 | ミュージシャン(故人) |
義母 | 樹木希林 | 女優(故人) |
元木雅弘の家系図


豪華な家系図ですね~
本木雅弘の実家は?
本木雅弘さんの実家は埼玉県涌川市の圏央道沿いにあり、家の造りは長屋門だといわれています。
15代も続く由緒正しき米農家で、一世代を約30年で計算しても、なんと約450年前の江戸時代から続いていることになります。
まさに歴史のある、名門の家柄ですね!
2019年の帰省時に実家をバックに撮った写真
この“家族写真”は、2019年正月の帰省時に本木さんやUTAさんの家族によって撮影された。撮影には制作スタッフや広告カメラマンは一切介在せず、アングル、ポーズ、ロケーションなど全てを本木さんたち自身で進められたという。
シネマカフェより
実家はお金持ち?
地元では名士として知られる豪農で、立派な長屋門。
圏央道沿いという好立地からも、相当な資産家であることが伺えますね!
芸能リポーターで本木さんとは同郷のあべかすみさんは、このように話しています。



本木雅弘さんの実家はとてつもなく大きくてお金持ち
また、本木さん自身も過去にインタビューで



いざというときは贅沢こそできないものの、コメと土地はあるから食うには困らない
という発言をしていました。
本木雅弘のプロフィール


本木雅弘(もときまさひろ)
本名:内田雅弘(うちだまさひろ)※旧姓:本木
生年月日:1965年12月21日
出身地:埼玉県涌川市(旧・北足立郡涌川町)
身長:174cm
血液型:A型
学歴:明治大学付属中野高等学校定時制中退
所属事務所:フロム・ファーストプロダクション
1981年にTBSの学園ドラマ「2年B組仙八先生」でデビュー。
その後、1982年に「シブがき隊」として活動をスタートし、薬丸裕英さん、布川敏和と共にアイドルとして一世を風靡しました。


シブがき隊解散後、俳優として本格的に活動し、主演を務めた映画「シコふんじゃった。」(1992年)や大河ドラマ「徳川慶喜」(1998年)などがヒットしています。


テレビドラマ
- 「2年B組仙八先生」(1981年)/森田すばる役
- 「恋のパラダイス」(1990年)/柴崎天役
- 「最高の片想い」(1995年)/青木公介役
- NHK大河ドラマ「徳川慶喜」(1998年)/徳川慶喜役
- 「幸福の王子」(2003年)/鳴川周平役
- 「87%」(2005年)/黒木陽平役
- 「坂の上の雲」(2009年)/秋山真之役
- 「運命の人」(2012年)/弓城亮太役
- NHK大河ドラマ「麒麟がくる」(2020年)/斉藤道三役
- 「八月の声を運ぶ男」(2025年)/辻原保役
映画
- 「ファンシイダンス」(1989年)/塩野陽平役
- 「遊びの時間は終わらない」(1991年)/平田道夫役
- 「シコふんじゃった。」(1992年)/山本秋平役
- 「ラストソング」(1994年)/八住修吉役
- 「RAMPO」(1994年)/明智小五郎役
- 「トキワ荘の青春」(1996年)/寺田ヒロオ役
- 「中国の鳥人」(1998年)/和田役
- 「双生児」(1999年)/大徳寺雪雄・捨吉役
- 「スパイ・ゾルゲ」(2003年)/尾崎秀実役
- 「夜の上海」(2007年)/水島直樹役
- 「おくりびと」(2008年)/小林大悟役
- 「永い言い訳」(2016年)/衣笠幸夫(津村啓)役
- 「TOUCH/タッチ」(2025年)/高橋役
映画「おくりびと」(2008年)では、自ら企画を持ち込み主演を務めました。
「おくりびと」は2009年に、米アカデミー賞外国語映画賞を受賞。
言葉になりません。まだまだ気持ちの整理がつかない。信じられないことが続いて起こっている渦中にいる。この作品にかかわっているすべての人の思いが叶って、大きな花を咲かせたと思う。
ORICONNEWSより
日本作品の受賞は日本映画史上初めてで、レッドカーペットでのインタビューは全て英語で答えています。
この映画での活躍などで、同年の3月20日には「埼玉県民栄誉賞」を受賞しました。



日本を代表する俳優の1人ですね!
本木雅弘の妻・内田也哉子
本木雅弘さんの妻は、エッセイストの内田也哉子さんです。


本木雅弘の妻
- 名前:内田也哉子(うちだややこ)
- 生年月日:1976年2月11日
- 出身地:東京都
- 職業:エッセイスト、翻訳家
1歳半から小学6年生の途中までインターナショナルスクールに通い、9歳の頃にはニューヨーク北部の田舎の学校に1年間留学していました。
15歳で本木雅弘さんと出会い、16歳の頃にはフランス語の習得のためスイスのジュネーブの学校に留学。
19歳で結婚し3人の子供を出産、子育てをしながらエッセイ本の執筆や海外絵本の翻訳を手掛けています。
子供
本木雅弘さんと内田也哉子さんの間には、3人のお子さんがいます。


子供:3人
・長男:雅楽(うた) 1997年10月1日生まれ
・長女:伽羅(きゃら) 1999年9月16日生まれ
・次男:玄兎 (げんと) 2010年3月25日生まれ
長男:雅楽(うた)


- 名前:UTA
- 生年月日:1997年10月1日
- 身長:190㎝
- 血液型:AB型
- 2018年にフランスのモデルエイジェンシーSUCCESSと契約し、パリ・ファッション・ウィークにてランウェイデビュー
長男・雅楽さんは、「UTA」名義でモデルとして活躍中。
身長190㎝という長身を活かして、パリコレにも出演するほど国際的に活動しています。
長女:伽羅(きゃら)


- 名前:内田伽羅
- 生年月日:1999年9月16日
- 幼少期からインターナショナルスクールに通学、小学校卒業と共にイギリスの名門ボーディングスクール(寄宿学校)、アメリカ・ニューヨーク大学へ進学、フランスの大学院へ進学
- 2010年に映画「FURISATO-宇宙からみた世界遺産-」で女優デビュー
長女・伽羅さんは、幼い頃から映画に出演するなど、女優として芸能活動を行ってきました。
映画「奇跡」(2011年)、「あん」(2013年)では、祖母の樹木希林さんと共演を果たしています。
次男:玄兎 (げんと)


- 名前:内田玄兎
- 生年月日:2010年3月25日
- 2歳から7歳までイギリスで過ごしたバイリンガル
次男・玄兎くんは、絵の才能が素晴らしいと話題に!
兄・雅楽さんのInstagramでは玄兎くんの絵が度々紹介されています。
本木雅弘の父
本木雅弘さんの父親は一般人の為、詳細な情報は非公開となっています。


本木雅弘の父親
- 名前:本木昭
- 15代続く農家の当主
- 職業:教師・農業
- 性格:堅実で真面目
15代続く農家として、地域に根ざした生活を大切にしています。
息子が有名になっても決して浮つくこともなく、堅実に農業を続けてきました。
普段は無口ですが、誰よりも息子を信じ温かく見守り続けています。
父とのエピソード
父親が農業高校時代の卒業文集をパラパラと眺めていた時に、たまたま目に留まった名前が「雅弘」だったことから「雅弘」と名付けられたそうです。
農業と自然に囲まれ育った息子が、芸能界に入ることについて最初は心配もあったようですが、息子の才能を信じて温かく見守り続けてくれました。
内田也哉子さんとの結婚の際、息子の幸せを第一に考え婿入りすることを認めてくれました。
「寂しいけれども、お任せします」と話されたそうです。
教師としても働いていた父親は、教育に対する熱い思いも持っており、本木さんの人格形成にも大きな影響を与えたと言われています。
2009年に「埼玉県民栄誉賞」を受賞した本木さん。
普段は無口な父親から『最高の幸せをありがとう』という短い手紙をもらったそうです。



いい親孝行ができました
と贈呈式に出席した際、語られていました。



いつも息子を温かく見守る素敵な父親ですね!
本木雅弘の母
本木雅弘さんの母親は一般の為、詳細な情報は非公開となっています。


本木雅弘の母親
- 名前:本木さき子
- 職業:専業主婦・農家
- 趣味:料理・園芸
- 性格:息子思いで優しい・控え目だが芯が強い
家族の結束を何よりも大切にし、控え目だが芯の強い性格は家族からとても慕われています。
いつも優しく寄り添い、息子や孫たちの成長を見守ってきました。
母とのエピソード
芸能界に入る息子に対し不安もあったそうですが、本木さんの真面目な性格を信じて応援し続けました。
シブがき隊時代は、息子が道を踏み外さないように陰で支えていたそうです。
「財産はないけれど、滅んでしまうかもしれない内田家を救って」という、樹木希林さんからの婿入りへの申し出を聞き入れましたが”内田家を受け入れるまで10年かかった”と話す母親。
ですが今では、嫁の内田也哉子さんを実の娘のように可愛がり「雅弘が内田家に入ってよかった」と語れるほど、信頼と愛情を持っているようです。
“希林さんロス”から妻や子供たちを守りたい、少しでも寂しさを紛らわせたいと考えた本木さんは実家での食事会を提案しました。
「10月下旬のことでした。雅弘が也哉子さんや子供たちを連れて、うちにやって来たんです。みんなでいっしょに食事をしましたが、(雅弘は)3人兄弟で、それぞれの子供たちも多いですからね。けっこうにぎやかな集まりになりました。也哉子さんは一人っ子だったから、逆にガチャガチャと食卓に人がいっぱいいて、うるさいぐらいなのが珍しいみたいで、喜んでくれるんです。私の手料理も、おいしいと言ってくれますしね。笑顔を見せてくれたので、嬉しかったですよ」
女性自身より
食事会では母親が手料理を振る舞い、みんながそれぞれ希林さんの思い出話をしたそうです。



母親のおかげで、実家は家族みんながいつでも安心して帰って来られる場所ですね!
本木雅弘の兄弟
本木雅弘は3人兄弟の真ん中で、兄と一つ下に弟がいるそうですが、一般人のため情報は非公開となっています。
お兄さんは長男として実家の農業を継承、結婚して子供もいるそうです。
兄弟とのエピソード
兄弟それぞれ別の道を歩んでいますが、兄弟仲はとても良好で家族の絆も強いそう。
お兄さんは、芸能界で活躍する雅弘さんの事を誇りに思いながら「自分は家を守る」という責任感を持って、家業をしっかりと支えています。
弟さんとは、実家に帰った際は昔のように語り合うことも多いとか。
芸能人になっても変わらない関係性が素敵ですね!



きっとご両親の育て方がとても良かったのですね~
本木雅弘の義父・内田裕也
本木雅弘さんの義父は、ミュージシャンの内田裕也さんです。


本木雅弘の義父
- 名前:内田裕也(うちだゆうや)
- 生年月日:1939年11月17日(2019年3月17日79歳没)
- 出身地:兵庫県で生まれ、大阪府堺市で育つ
- 職業:ミュージシャン
日本のロック界のパイオニアとして、1959年の日劇ウエスタンカーニバルでデビュー。
「ロックンロール!」の決め台詞で有名になり、日本のロック文化の礎を築きます。
奇抜な言動と破天荒なエピソードで知られ、まさに昭和のロックスターでした。
妻・樹木希林さんとは1973年に結婚しました。
義父とのエピソード
樹木希林さんと二世帯住宅で暮らしていた本木雅弘さん。
夜な夜な酔っぱらっては、自宅に来て騒いでいたという内田裕也さん。
希林さんとは2世帯住宅で10数年共に暮らした。裕也さんとは別居していたが、「夜な夜なフランケンシュタインのように私達の家に来ては『本木、開けろー!』とか(騒いで)。それを樹木さんが、近所迷惑になるので(家の)中に招き入れ、モメてる…」という状況だったことを振り返った。
デイリースポーツより
ある時子どもが風邪をひき熱を出しており、大声で長時間言い争う希林さんと裕也さんに



静かにしてください!
と仲裁に入ると



子供の熱ぐらいでヌクヌクしてんじゃねー!
と言われ



ちょっとモメてしまって、私がボコッとやってしまった
という出来事を明かしていました。
樹木さんは止めることもなく応援していたそうです。



この際、やっちゃいなさい!
その後謝罪し和解したものの、裕也さんのお仲間軍団が『本木を出せ!』と復讐に来たとか。
その時、希林さんは鉄パイプのようなものを持ち、本木さんを守ろうとしていたとのことです。
裕也さんは後日お仲間達に、このように感想を漏らしていました。



マジメなヤツ(本木)がキレるとタチが悪いな
破天荒なイメージの裕也さんですが



基本的には優しいし紳士でとても読書家でもある



すがすがしさの魅力を持っている方
と本木さんは話しています。
これに対し裕也さんは、



お前らの善人っぽいイメージは俺という悪がいるから成立してるんだ。感謝しろ
とよく言っていたそうです。
本木雅弘の義母・樹木希林
本木雅弘さんの義母は、女優の樹木希林さんです。


本木雅弘の義母
- 名前:樹木希林(きききりん)
- 本名:内田啓子(うちだけいこ) ※旧姓:中谷
- 生年月日:1943年1月15日(2018年9月15日没)
- 出身地:東京都千代田区
- 職業:女優
1961年に劇団文学座に入団し、「悠木千帆」という芸名でデビューしました。
1977年に「樹木希林」に改名。
テレビドラマ「時間ですよ」(1970年)、「寺内貫太郎一家」(1974年)などで人気を集めました。
映画「東京タワー~オカンとボクと、時々オトン~」(2007年)、「わが母の記」(2012年)などで、日本アカデミー賞最優秀女優賞を受賞しています。


孫の伽羅さんと共演した映画「あん」(2015年)や「万引き家族」(2018年)でも、多数の賞を受賞しています。
女優としてどんな役でも幅広く演じ、希林さん自身は個性的なキャラクターで「おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい」という独自の人生観の元、多くの人に影響を与えました。
義母とのエピソード
本木さんは結婚後、希林さんの提案で二世帯住宅を建て、10数年同居生活を送っていました。
これは希林さんからの教育で「1つ家の中で生きていく術」を教えたかったそうです。
希林さんは、本木さんの家事スキルをすごく評価していました。



娘の下着もたたんだりします
と公言しており、誇らしく思っていたようです。
本木さんが難役に挑むか否か悩んでいた際、希林さんにかけてもらった言葉に背中を押されたと明かしていました。
おごらず、他人と比べず、面白がって、平気に生きればいい
希林さんが大事にしている言葉です。



何事も面白がるのが樹木さんの肝(きも)ですよね



いい形で教育された人生最大の助言者でしたね
希林さんから、とても多くのことを学んだそうです。



義母でありながら、役者としても大先輩。
お2人はとても良い関係で過ごしてきたようですね!
【本木雅弘の家族構成】Q&A
まとめ
【本木雅弘の家系図/家族構成】家族エピソード14選!実家は豪農?についてまとめました。
「華麗なる一族」という言葉がぴったりなほど豪華な家系図でしたね。
15代も続く由緒正しき農家に生まれ育ち、伝説的な義父母を持つこととなった運命的な縁。
家族それぞれが才能豊かに活躍しながらも、ブレない家族の絆が何よりも素晴らしいですね。
本木雅弘さんやお子さん達の今後の活躍、実家の農家の更なる繁栄にも期待したいです。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。