昭和を代表する名優・三國連太郎さんを父に持つ実力派俳優・佐藤浩市さん。
そして息子さんは若手注目株の寛一郎さんという、三世代に渡って芸能界で活躍する華やかな家系です。
今回は、そんな佐藤浩市さんの家族構成や家系図や実家について図解付きで詳しくご紹介します。
佐藤浩市の家族構成・家系図
佐藤浩市は、父親・母親・本人の3人家族
現在は、本人・妻・息子の3人家族
佐藤浩市さんは俳優の三國連太郎さんと、元神楽坂の芸者の石原とし子さんとの間に一人息子として生まれます。
三世代続く俳優一家としても知られていますが、実はかなり複雑なんです。
離婚や再婚を経て、現在の家族構成が形成されてきました。
| 続柄 | 名前 | 職業など |
|---|---|---|
| 父 | 三國連太郎(本名:佐藤政雄) | 俳優・映画監督(2013年没) |
| 母 | 石原とし子 | 元神楽坂の芸者 |
| 本人 | 佐藤浩市 | 俳優 |
| 妻 | 広田亜矢子 | 元舞台女優 |
| 息子 | 寛一郎 | 俳優 |
佐藤浩市の家系図

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佐藤浩市の実家は?
佐藤浩市さんは東京都新宿区の神楽坂で生まれ育ちました。
浩市さんが小学5年生の時に父・三國連太郎さんが家を出て両親が離婚、その後は母親が女で一つで育てたそうです。
父・三國さんが家を出た後の生活は決して裕福とはいえず、浩市さんは高校2年生の時に家を出て新宿区早稲田で喫茶店でアルバイトをしながら一人暮らしをしていたとのこと。
生まれ育った神楽坂は実家を含めて、浩市さんが育ったころの面影が残っていないと語っています。
佐藤浩市僕は、東京・神楽坂の生まれですが、実家もないし、当時からある数件の店を除いて、僕が育ったころの面影なんて、全くと言っていいほど残っていません。
佐藤浩市のプロフィール


本名:佐藤浩市(さとう こういち)
生年月日:1960年12月10日
年齢:64歳
出身地:東京都新宿区神楽坂
身長:182cm
血液型:A型
学歴:多摩芸術学園映画学科 中退
職業:俳優
活動期間:1980年〜
所属事務所:テアトル・ド・ポッシュ
佐藤浩市さんは幼少期のころ、父・三國連太郎さんの撮影現場に連れて行かれたこともあり「映画俳優」を志すようになります。
高校卒業後は「広く映画の勉強をしたい」とのことから多摩芸術学園映画学科に入学しますが1年で中退。
1980年の19歳のとき、NHKドラマ「続・続事件」で俳優デビューをします。
翌年の1981年には映画「青春の門」に出演し、ブルーリボン賞新人賞を受賞、スクリーンに映った自分の姿を見て「俳優として生きていこう」と決意したそうです。
現在は日本を代表する実力派俳優として、映画やドラマで幅広い役柄を演じ、数々の賞を受賞しています。
1982年(22歳)の佐藤浩市


2025年10月31日に公開された映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」では、主演の吉永小百合さんと夫婦役として共演しました。





写真の横顔が、父親の三國連太郎さんに似ている気がします!
公開初日舞台挨拶で浩市さんは吉永さんとの夫婦役に対し、父・三國連太郎さんの名前を出し衝撃を語りました。



まさか夫婦役をやらせていただくなんてことがあるとは思ってなかった。亡き三國も思っていなかっただろう。
もし三國さんに報告したら、どんな反応が返ってくると思うかと問われると浩市さんは



ああ、そう
とものまねをしながら答えて会場を笑わせたんだそうです。
ドラマ
- 1980年:続・続 事件 月の景色/月崎守
- 1990年:翔ぶが如く/坂本龍馬
- 2000年:天気予報の恋人/矢野克彦
- 2006年:けものみち/小滝章二郎
- 2015年:ハッピー・リタイアメント/樋口慎太郎
- 2025年:ザ・ロイヤルファミリー/山王耕造
映画
- 1981年:青春の門/伊吹信介
- 1996年:美味しんぼ/山岡士郎
- 1998年:あ、春/韮崎紘
- 2002年:KT/富田満州男
- 2008年:誰も守ってくれない/勝浦卓美
- 2020年:サイレント・トーキョー/朝比奈仁
- 2025年:てっぺんの向こうにあなたがいる/多部正明


佐藤浩市の妻
佐藤浩市さんの妻は、元舞台女優の広田亜矢子さんです。


佐藤浩市の妻
- 名前:広田亜矢子(ひろた あやこ)
- 本名:佐藤亜矢子
- 年齢:夫・佐藤浩市より約10歳年下
- 女優・広田レオナの従姉妹
- 2018年から里親活動を行う
広田亜矢子さんは元々舞台女優として活動していましたが、浩市さんとの結婚を機に芸能活動を引退し、家庭を支えるようになりました。
浩市さんと出会ったきっかけは、広田さんの従姉妹・広田レオナさんからの紹介で出会ったそうです。
夫婦仲はとても良好で、2018年からは一緒に里親活動を行うなど、家族を大切にする温かい家庭を築いています。



優しい奥さんなんでしょうね。
息子の寛一郎さんに似ていますね!
長男:前妻との子供
佐藤浩市さんには、前妻との子供と、現在の妻・広田亜矢子さんとの子供がいます。
佐藤浩市の長男
- 名前:非公開
- 1985年9月生まれ
- 母親:元モデル
- 現在の関係:離婚後は母親が引き取って育てているが、父・佐藤浩市とは会っていない。
長男は1989年に両親が離婚すると母親に引き取られますが、その後浩市さんには会っていないそうです。
次男:寛一郎
佐藤浩市さんと広田亜矢子さんの子供は、俳優として活躍中の寛一郎さんです。


佐藤浩市の次男
- 名前:寛一郎(かんいちろう)
- 本名:佐藤寛一郎
- 生年月日:1996年8月16日
- 身長:182cm
- 血液型:A型
- 2017年に俳優デビュー
- 所属事務所:ユマニテ
寛一郎さんは予定日より2ヶ月早く生まれた未熟児でした。
大きくのびのびと育ってほしい、寛大な心を持ってほしいと意味を込めて「寛一郎」と名前がつけられたそうです。
寛一郎さんが俳優になるまでに葛藤が何度もあり、少年時代は「俳優には絶対ならない」と思っていたそうです。
理由は周囲からの「俳優になるんでしょ?」「お父さん俳優でしょ?」と言われることへの反発だったとか。
父・浩市さんの幼少期と同じく、寛一郎さんの幼少期も父・浩市さんに撮影現場に連れて行かれていました。
周囲の声に反発していた寛一郎さんですが「父親に対する格好良さとか尊敬はあった」と語り、父と比較されるのも覚悟の上で18歳の頃に俳優になろうと決意します。



純粋に一番近い職業ではありましたし、小さいころながら父親の現場も行かせてもらっていたし、近い存在が役者という職業だったというのが一番の理由ではあるんですけど。
嫌だなと思っていた時もありましたし。
俳優になることを父・浩市さんに伝えると「そうか」とそっぽを向いたんだそうです。
浩市さんも三國さんに俳優になると伝えたときに同じことを言われ、寛一郎さんはそのシーンの再現を浩市さんが演じていると感じたんだそうです。



寛一郎さんの今後の活躍も楽しみですね!
寛一郎さんのデビュー後は、3世代俳優と注目されつつも着実に実力をつけています。
2017年9月公開の映画「ナミヤ雑貨店の奇蹟」に出演すると、日本映画批評家大賞の新人男優賞を受賞しました。
2020年公開の映画「一度も撃っていません」で父・浩市さんと初共演し、2022年の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも共演しています。(鎌倉殿の13人は同一シーンは無し)
2023年の映画「せかいのおきく」では、二人だけのシーンもありました。


ドラマ
- 2018年:ドロ刑 -警視庁捜査三課-/河原順平
- 2019年:グランメゾン東京/芹田公一
- 2020年:湘南純愛組!(WEBドラマ)/鬼塚英吉
- 2025年:べらぼう〜蔦重栄華乃夢噺〜/富本豊前太夫
- 2025年:ばけばけ/山根銀二郎
映画
- 2017年:心が叫びたがってるんだ。/田崎大樹
- 2017年:ナミヤ雑貨店の奇蹟/幸平
- 2018年:菊とギロチン/古田大次郎
- 2020年:一度も撃ってません/五木要
- 2023年:せかいのおきく/中次
- 2025年12月24日公開予定:映画ラストマン -FIRST LOVE-/グレン・アラキ
佐藤浩市の子供まとめ
・長男:名前非公開
1985年9月生まれ
母親は元モデル、父・佐藤浩市とは会っていない。
・次男:寛一郎
1996年8月16日
母親は広田亜矢子、父親は佐藤浩市。
現在俳優として活躍中。
佐藤浩市の父
佐藤浩市さんの父親は、俳優の三國連太郎さんです。


佐藤浩市の父親
- 名前:三國連太郎(みくに れんたろう)
- 本名:佐藤 政雄(さとう まさお)
- 生没年:1923年1月20日〜2013年4月14日(90歳没)
- 出身地:群馬県太田市生まれ、静岡県出身
- 身長:178cm
- 血液型:AB型
- 職業:俳優・映画監督
- 1950年に俳優デビュー
大正生まれの三國連太郎さんは、中学校2年生で中退すると故郷である静岡県を飛び出し、密航で中国の青島や釜山へ放浪します。
帰国後はさまざまな職を転々としていましたが、1943年に徴兵検査の通知が来て実家に戻ります。
三國さんは「戦争に行きたくない、逃げよう」と考え、当時同居していた女性と逃亡しますが憲兵に連れ戻され、入隊させられます。
戦争中は戦わない兵隊に徹して、とにかく「生きよう」という気持ちが強かったそうです。
生きて帰ったその後は俳優として数々の名作を生み出して、役者をするために生まれてきたように感じます!
俳優デビュー、昭和の名優に
1950年に東銀座を歩いていたところを松竹のプロデューサーにスカウトされ、1951年の映画「善魔」に出演し映画デビューを果たし、この映画で第二回ブルーリボン賞新人賞を受賞しました。
芸名の「三國連太郎」は、善魔で演じた役の名前から取られています。
「善魔」での三國連太郎


多くの映画やテレビでアクの強い演技を披露していた三國さんは、1988年のドラマ「釣りバカ日誌」でスーさんを演じ、お茶の間でも人気になります。
釣りバカ日誌は2009年まで続いた大ヒットシリーズでしたね!
ちなみに釣りバカの主人公を演じている西田敏行さんは、三國さんの孫・寛一郎さんと「ナミヤ雑貨店の奇蹟」で共演しています。





西田敏行さんと孫である寛一郎さんの共演は、なんだか縁を感じますね。
映画
- 1951年:善魔/三國連太郎
- 1960年:大いなる旅路/岩見浩造
- 1988年〜2009年:釣りバカ日誌シリーズ/鈴木一之助(スーさん)
- 1989年:利休/千利休
- 1991年:息子/浅野昭男
- 1996年:美味しんぼ/海原 雄山
- 2012年:わが母の記/伊上隼人
父とのエピソード
三國さんは俳優として役作りを徹底し、迫真の演技で多くの人々を魅了していました。
その一方で私生活は複雑で結婚歴が4回あり、家にいることはほとんどなく家族の間には確執があったそうです。
父・三國さんと息子・浩市さんの間にも、長年確執がありました。
浩市さんが小学5年生のときに、三國さんと母親が離婚します。
その際に三國さんは、浩市さんを静岡県の十国峠に連れていき別れを告げます。



ここで君と別れる。今日からは他人だ。これからは一人で一生懸命生きてくれ。
後に浩市さんは俳優になることを三國さんに伝えますが、三國さんからは絶縁とも読み取れるようなことを言われたそうです。



僕は何も教えられないよ。だったら、親子の縁を切りましょう。
ですが浩市さんはマスコミから親子の確執について聞かれた際は「不仲ではない」と答えていました。



よく言われますが、別に不仲だったわけではないんですよ。一つだけ言えるのは、僕も、きっと三國も、一緒にいることのハードルを上げすぎたんですね。
完全に縁を切ったわけではなく、お互いに距離を保ちながらそれぞれの道を歩んでいたように見えます。
浩市さんが俳優になる際の三國さんの「親子の縁を切る」発言も一部の情報で、実際は「ああ、そう」の一言だけ返された。という情報もありました。
小学5年生のときに別れを告げていたこともあり、「親子の縁を切る」は「俳優同士としての付き合い」という意味が込められていたのでしょうか。



親子としての関係が良好。とは言えない関係だったからこそ、お互いに距離感を保っていたんだと思います。
1996年に公開された映画「美味しんぼ」では、確執を抱えた父子役で共演しました。
意外にも三國さんが浩市さんとの親子役を提案し、共演が実現したといわれています。



主演を佐藤にして親子対決にすること。


しかし撮影現場は緊迫した雰囲気だったようです。
美味しんぼの監督は「現場で言葉を交わすところは一度も見なかった」と証言し、会見でもお互いのことは「佐藤くん」「三國さん」と呼び合っていたそうです。
後に浩市さんは美味しんぼで共演を果たせたことについて「本当にやっといてよかった」と語っています。



本当にやっといて良かった。あれをやらなかったら本当に僕は今でも後悔してる。
二人は2000年ごろから自然と親子関係が改善していったといわれていて、2009年に浩市さんが「徹子の部屋」に出演した際は、三國さんのことを「努力の人」と語っています。
「父親としての認識はほとんどない」と語っていた浩市さんですが、最終的に父との絆を取り戻すことができたようですね。
三國さんの死去の報告を受けた浩市さんが、三國さんと対面して「本当にあの人は役者として生きたんだな」と感じたんだそうです。



(父は)『戒名もいらない。散骨して誰にも知らせるな、密葬でいい』と言っていた。三國連太郎として生きたかったということに、本当にあの人は役者として生きたんだなと。そのことを死に顔を見た時に感じました。
佐藤浩市の母
佐藤浩市さんの母親は神楽坂で芸者をしていた石原とし子さんです。
佐藤浩市の母親
- 名前:石原とし子
- 職業:元神楽坂の芸者
- 結婚時期:1957年(三國連太郎の3度目の結婚)
- 離婚時期:1972年
石原とし子さんは神楽坂で芸者をしていた頃に、俳優として活躍していた三國連太郎さんと出会い、1957年に結婚します。
翌年の1961年に長男・佐藤浩市さんが誕生しました。
しかし、浩市さんが小学5年生のときに三國さんが家を出て、1972年には正式に離婚。その後は女手一つで浩市さんを育て上げました。
母とのエピソード
父・三國さんが家にいないことが多かった一方、母・とし子さんも仕事や仲間との飲み会などで家を空けることが多かったそうです。
スナックの経営もしていて、佐藤さんが高校2年生のとき店を手伝ってくれた男性ととし子さんは内縁関係になります。
思春期だったこともあり耐えられなくなった浩市さんは、家を出て一人暮らしを始めました。
以降30年にわたって二人は絶縁状態だったそうです。
とし子さんは2008年に脳梗塞で倒れ、後遺症で認知症を患ったそうです。
母の姿を目の当たりにした浩市さんは、妻・亜矢子さんと相談の末、自宅で介護することに決めたんだそうです。
幼い頃から家で一人で過ごすことが多かった浩市さんだからこそ、認知症の母親を迎え入れる決心ができたのかもしれませんね。



佐藤浩市さんも結婚し子供が生まれ、家族を大事にしたいという思いが強くなったのだと思います。
【佐藤浩市の家族構成】Q&A
まとめ
【佐藤浩市の家族構成】息子は寛一郎!父は三國連太郎で家系図がすごい!についてまとめました。
佐藤浩市さんの家族は、父・三國連太郎さんとの長年の確執と晩年の和解、母・石原とし子さんの女手一つでの子育て、そして自身の離婚と再婚というまさにドラマのような構成でした。
三世代に渡って続く俳優一家として、それぞれが波乱の人生を歩みながらも、芸能界でしっかりと足跡を残してきました。
特に息子の寛一郎さんは、祖父・父の背中を見ながら、自分の道を切り開いている姿が印象的です。
神楽坂で生まれて複雑な家族関係の中で育った佐藤浩市さんは、今では妻の広田亜矢子さんとともに、温かい家庭を築き、社会貢献活動にも力を入れています。
家族の絆って、時には複雑で、時には途切れそうになることもあるけれど、最後には繋がっていくものなんだなぁと感じさせてくれる、そんな家族の物語でしたね。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。

