NHK朝ドラ「らんまん」で宮崎あおいさんが演じる藤平紀子役は、実際は伊藤洋さんと山本正江さんを合わせたモデルのようです。
牧野先生が亡くなる5年ほど前から『標品館』40万点の標本の整理を始めた伊藤洋さんと、
昭和37年から東京都立大学牧野標本館の職員として牧野標本に関わった山本正江さんのようです。
藤平紀子役のモデルの人物とは?
宮崎あおいさん演じる藤平紀子役は、牧野富太郎の死後、40万点もの植物標本の整理を依頼され手伝う女性です。
ドラマでは昭和33年夏、槙野家に藤平紀子(宮崎あおい)という女性がやって来ました。
前年に万太郎は亡くなっていると考えられ、女性のアルバイトは植物標本の整理でした
「らんまん」の脚本家の長田育恵氏はこの標本整理について絶対にドラマに盛り込みたいと強く思っていたようです。
「まず、牧野家から都立大学に移すまでにも大きな苦労がありました。そして、大学に収蔵されてからも20年以上の長きにわたる地道な整理作業によって、標本が活用されたからこそ、牧野富太郎は世界の牧野博士となり得たのです。この牧野コレクションを基に、各国の貴重な標本と交換したり、絶滅した植物も調査できたりと、植物分類学の基盤となってきました。この、標本を整理して、活用できる形で後世にバトンを渡そうと尽力した人たち(劇中は宮崎演じる紀子)のことは、絶対に盛り込みたいと思っていました」と思っていたようです。
1人目のモデル:伊藤洋さん
伊藤洋さん(1909年〜2006年)97歳没:東京教育大学名誉教授
・東大植物学教室で牧野の教えを直接受けた植物学者
・牧野先生が亡くなる5年ほど前から『標品館』40万点の標本の整理を始める
・練馬の牧野家から世田谷の都立大学理学部内に牧野標本館に植物標本を運ぶ段取りを行う
1958年(牧野先生の死の翌年)6月:世田谷の東京都立大学理学部内に牧野標本館を設立し、植物標本が運ばれました。
伊藤さんはシダ類を専門とし、ほかにも一線で活躍している植物学者たちが集められて、「標品館」は牧野の自宅内に建てられたもので、作業はすぐ隣にあった夏休み中の小学校を借りて行われた。
伊藤先生はインタビューで語っています↓
牧野博士のコレクションの整理は、伊藤先生が中心になって作業されたんですね?
高知新聞より
「中心ではないですが、段取りは私がしました。牧野先生は植物を採集し、研究し、論文を書くと、後の標本はカスだというお考えのようでしたから、どんどん束ねて新聞にくるむと、『標品館』の天井まで積み上げてあった。ネズミの巣がいっぱいありましたよ」
その後、2人目のモデル、山本正江さんが登場します。
2人目のモデル:山本正江さん
「らんまん」での藤平紀子役の雰囲気には山本正江さんが似ていると思います。
山本正江さんは、当時25歳だった山本正江さんがアルバイトとして東京都立大学牧野標本館を訪れたそうです。
山本正江さん(1937年生まれ)86歳 ※推定
元東京都立大学牧野標本館職員
・1962年(昭和37年)から東京都立大学牧野標本館の職員として牧野標本に関わっている。
・当時、25歳だった山本正江さんがアルバイトとして携わる。
山本正江さんは当時のことを振り返る:
牧野標本館は鉄筋2階建ての立派な建物だった。
山本さんはここでアルバイトをしようと思った。その面接のため、呼び出しブザーを押すと、思いのほか大きな音が鳴って、びっくりしたことを覚えている。牧野は職人的ともいわれる手際の良さで、見た目にも美しい植物標本を作っていた。
しかし、保存場所が良くなかった。標本整理の臨時職員として採用された山本さんが見たのは、長い歳月を経て、ほこりにまみれていた標本だった。牧野標本を「清掃」することから仕事は始まった。
高知新聞より
この時は、まさかこの標本整理を40年も続けることになるとは思ってもいなかった。
「一階の標本庫(当時)には、未整理の標本が木の棚にぎっしり詰まっており、通路の奥に薦(むしろ)に包まれた竹や笹(の標本)が置いて有り、二階の標本庫はスチールのケースが置いて有りました。
(『牧野標本館50周年記念誌』P112 山本正江「牧野標本館五十周年を迎えて思い出す事」より)
当初の仕事は標本のゴミ掃除で一束ずつ標本の包みを出し、新聞紙を一枚ずつ開いて刷毛で虫づり(タバコシバンムシなどに食害)の標本のゴミを払い落とし、ナフタリンを入れ、実や花弁をポケットに入れ、の繰り返しでした。綺麗な標本も有れば、束の真ん中が穴の空いた状態で破棄せざるを得ないものもあり、虫づりのひどいものは標本が壊れやすく標本は出来るだけ生かさねばならないので苦労しました」
東京都立大学牧野標本館について
牧野標本館は、牧野富太郎博士が採集された植物標本を中心に、藻類・コケ・シダ・裸子・被子植物など約50万点の標本を所蔵しています。
東京都立大学牧野標本館
〒192-0364 東京都八王子市南大沢1丁目1
・1958(昭和33)年に設立
・日本の植物分類学の礎を築いた牧野富太郎博士(1862〜1957)の没後、ご遺族から東京都に寄贈された植物標本(牧野標本)などを収蔵
・収蔵総数50万点超(うち、牧野標本約16万点)
牧野標本館本館入口の展示コーナーは一般の方でもご覧いただけるようです。
藤平紀子を演じる宮崎あおいさん
ナレーションを担当していた宮崎あおいさんが最終週でカメオ出演、さらに千鶴役で松坂慶子さんが再度出演して、ほほえましい演出と話題です。
宮﨑 あおい(みやざき あおい)
・本名:岡田あおい
・生年月日: 1985年11月30日(38歳)
・出身地: 日本 東京都
・身長: 163 cm
・血液型: O型
・職業: 女優
・活動期間: 1989年 –
・事務所:ヒラタインターナショナル
・2017年:岡田准一と結婚
・2018年10月16日:第一子男児出産
松坂 慶子(まつざかけいこ)
本名 :高内 慶子(たかうち けいこ)
生年月日:1952年7月20日(71歳)
出身地:東京都大田区
身長 ・162cm
血液型:A型
活動:1967年〜
事務所:モマオフィス所属
韓国人の父、日本人の母
1991年:ジャズギタリスト高内春彦と結婚
1992年:長女出産
1994年:二女出産
牧野富太郎博士について
植物学者:牧野富太郎博士(1862-1957年94歳没)について
牧野博士は、江戸時代末期の1862(文久2)年に土佐・高岡郡佐川村(現・高知県高岡郡佐川町)の裕福な商家の長男として生まれました。身体は弱かったようですが、大好きな植物のこととなると驚異的な集中力を発揮し、大人たちを驚かせていました。
地元の高知県で自ら植物採集を始め、独学で植物学を習得。
その後、1884(明治17)年に22歳で上京し、東京帝国大学(現・東京大学)の植物学教室で西洋の豊富な学術書に触れ、研究を深めました。また、非凡な図描力を活かし、数々の精密な植物画を描き上げました。
1893(明治26)年には、東京帝国大学理科大学の助手に任命され、名実ともに植物学者の道を歩み出します。
『大日本植物志』や『日本高山植物図譜』などを刊行し、植物の研究に打ち込み続けました。
牧野博士は94歳で亡くなるまでに日本全土を踏査し、約2500種の植物を発見、命名しました。また、一般市民とともに植物観察や採集を行い、何人もの植物愛好家を育てたという実績もあります。そして、牧野博士が自宅に所蔵していた植物標本は実に40万枚にも及び、これが後に牧野標本館へと寄贈されました。
牧野博士は自らを「草木の精」と称し、植物を正確、忠実に記録することに心血を注いでいました。
そして、1888(明治21)年には『日本植物志図篇』も出版します。
植物へ愛を注ぎ続け、長きにわたり蓄積された牧野博士の記録は、日本のみならず、海外からも高い評価を受けています。
右が実際の牧野富太郎さん