高円宮家は憲仁親王が47歳の若さで亡くなられ、それ以降久子さまが当主と務められています。
久子さまは香川県の名家鳥取家出身で、ケンブリッジ大学卒の才女であり、英語スピーチも秀逸です!。
高円宮家の家系図をわかりやすく図解で解説、高円宮家の家族、当主久子さまについてまとめました。
【家系図】高円宮家とは?
高円宮家は1984年に創設され、三笠宮崇仁親王の第三皇子である憲仁親王が初代当主となりました。
憲仁親王は2002年11月21日、憲仁親王は47歳で薨去され、現在の当主は久子さまです。
三笠宮家の家系図についてはこちらをご覧ください。
高円宮家拡大家系図
高円宮家(たかまどのみや)とは?
- 高円宮家は日本の皇室における宮家の一つで、1984年に創設されました。
- 家祖は高円宮憲仁親王で、三笠宮崇仁親王の第三男子です。
- 高円宮憲仁親王は1954年12月29日に生まれ、2002年11月21日(49歳)に薨去しました。
- 高円宮家の現当主は憲仁親王妃久子さまです。
- 高円宮家は東京都赤坂御用地内に所在しています。
高円宮家は、文化、スポーツ、国際交流を中心に活動しています。特に高円宮妃久子殿下は、国際交流や環境保護に力を入れています。家族でスポーツ振興にも積極的に関わり、文化芸術の分野でも伝統文化の発展に貢献しています。
高円宮家一覧
高円宮家は、現在高円宮妃久子さま、長女の承子さまのお二人となります。
高円宮 憲仁親王(たかまどのみや のりひとしんのう) | 三笠宮崇仁親王の三男として誕生 | 1954年12月29日-2002年11月21日(47歳没) |
憲仁親王妃 久子(のりひとしんのうひ ひさこ) | 高円宮 憲仁親王の妃 | 1953年7月10日生まれ |
承子女王(つぐこじょおう) | 高円宮 憲仁親王の第一子 | 1986年3月8日生まれ |
千家典子さま | 高円宮 憲仁親王の第二子 | 1988年7月22日生まれ 結婚により皇籍離脱 |
守谷絢子さま | 高円宮 憲仁親王の第三子 | 1990年9月15日生まれ 結婚により皇籍離脱 |
「W杯バレー」を観戦する高円宮妃久子さまと長女の承子さま(2023年1月)
高円宮憲仁親王
高円宮 憲仁親王(たかまどのみや のりひとしんのう)
生年月日:1954年12月29日
2002年11月21日(47歳没)
三笠宮崇仁親王の三男として誕生
松濤幼稚園、学習院初等科、学習院中等科、学習院高等科
1978年:学習院大学法学部卒業後、カナダのクイーンズ大学に留学
帰国後、国際交流基金で嘱託で公務の傍ら勤務
1984年12月6日:久子さまと結婚
憲仁親王は日本サッカー協会の名誉総裁として、スポーツの振興に尽力しました。彼のリーダーシップは日本のスポーツ界に多大な影響を与えました。
高円宮憲仁親王の早すぎる死
2002年11月21日、高円宮憲仁親王はカナダ大使館でスカッシュの練習中に心室細動を起こし、心不全で倒れました。慶應義塾大学病院に搬送されましたが、容態が悪化し、人工心肺装置を外した後、47歳で薨去されました。
憲仁親王が生前取り組んでいた役職の多くは、妃久子が引き継いだそうです。
高円宮様ご一家
2022年11月
【高円宮さまの命日】「二十年式年祭」で高円宮妃久子さま・長女の承子さまら拝礼↓
長女・承子女王
承子女王(つぐこじょおう)
生年月日:1986年3月8日
続柄:高円宮憲仁親王第1女子
身位:女王/敬称:殿下/勲章:宝冠牡丹章/お印:萩
現在:日本ユニセフ協会に嘱託職員として常勤
役職
・全日本アーチェリー連盟名誉総裁
・日本スカッシュ協会名誉総裁
承子女王についての記事はこちらをご覧ください。
典子さま・絢子さまはご結婚で皇籍離脱
次女・典子さま
現在:千家 典子さま(せんげのりこ)
生年月日:1988年7月22日
学歴: 学習院大学卒業
2014年10月
出雲大社権宮司の千家国麿さん(せんげくにまろ)とご結婚し、皇籍離脱
三女・絢子さま
現在:守谷絢子さま(もりやあやこ)
生年月日1990年9月15日
学歴: 城西国際大学卒業、カナダに留学
2018年10月
日本郵船社員の守谷慧さん(もりやけい)とご結婚し、皇籍離脱
当主久子さまの実家は鳥取家
高円宮家は、憲仁親王は2002年11月21日、憲仁親王は47歳で薨去され現在の当主は久子さまです。
長女・承子さまはまだご結婚されていないため、久子さまと承子さまで高円宮家を支えています。
憲仁親王妃 久子(のりひとしんのうひ ひさこ)
生年月日:1953年7月10日
出身地:東京都港区白金
ケンブリッジ大学大学院修士課程を修了
父親:鳥取滋治郎(とっとり しげじろう)
(1924年2月1日-2021年2月10日89歳没)
東京帝国大学法学部卒
フランス三井物産社長など
母親:鳥取二三子
(1927年-2023年7月18日)
外交官・宮内庁式部官の友田二郎の長女
外交官の父の仕事の関係でフランスで育つ
久子さまの実家・鳥取家について
久子さま(三笠宮寬仁親王妃久子殿下)の実家は鳥取家で、江戸時代から続く名家です。
鳥取家の祖先は曾我祐邦さんで、江戸時代に讃岐国に移住しました。曾我氏は平安時代から戦国時代にかけて活躍した武士の一族です。
鳥取家は商業と実業を中心に成功を収め、近代以降も影響力を持ちました。久子さまの父、鳥取睦男氏は企業家として知られ、地域社会や文化の発展にも寄与しました。鳥取家は地域貢献や文化活動にも積極的で、伝統と革新を重んじる家系です。
久子さまの生い立ち
父が三井物産で海外勤務だったため、久子さまは海外生活を送っています。
父の転勤で一家で米国へ渡り、ニューヨーク郊外ウェストチェスターに転居。
- 1963年: 帰国後、聖心女子学院初等科・中等科を卒業。
- 1966年: 父の転勤により一家でロンドンへ渡り、ノースヨークシャーのメアリーグラマー女子修道院校に入学。
- 1975年: ケンブリッジ大学ガートン・カレッジで中国学・人類学・考古学を学び、卒業。
- 1975年: 日本に帰国し、翻訳会社に勤める。
- 1980年: 再度渡英し法律を学び、1982年に帰国。
- 1983年: アルバータ大学、プリンスエドワードアイランド大学から名誉法学博士の称号を授与される。
- 1983年: 三笠宮崇仁親王が総裁の第31回国際アジア・北アフリカ人文科学会議で通訳・助手を務める。
- 1984年: 結婚前、仕事では「鳥取恒久子」という名前の名刺を使用。
- 1984年4月23日: カナダ大使館のレセプションで憲仁親王と出会う。
- 1984年5月20日: 憲仁親王からのプロポーズを英語で受け入れる。
久子さまは、憲仁親王のお父上・三笠宮崇仁親王が総裁の国際会議で通訳をされていたようです。
英語のプロポーズとは?
憲仁親王「Will you marry me?」
久子さま「Yes.」
久子さまの学歴・学位とは?
小学校・中学校
- 聖心女子学院初等科・中等科を卒業
高校
- イギリス:ノースヨークシャーのメアリーグラマー女子修道院校
大学
- 1975年:英国のケンブリッジ大学ガートン・コレッジで中国学、人類学、考古学を専攻
- 1979年:ケンブリッジ大学大学院修士課程を修了
- 1983年: アルバータ大学、プリンスエドワードアイランド大学から名誉法学博士の称号
- 2012年:大阪芸術大学より博士(芸術文化学)の学位を授与
2012年(59歳)で大阪芸術大の学位を取られているとは、素晴らしいですね!
久子さま(三笠宮寬仁親王妃久子殿下)の役職や活動とは?
久子さまは、憲仁親王亡き後、スポーツや福祉、国際親善など幅広い分野で活躍されています。
- 日本赤十字社 名誉副総裁
- 日本水難救済会 名誉総裁
- 日本海洋少年団連盟 名誉総裁
- 日本サッカー協会 名誉総裁
- 日本ホッケー協会 名誉総裁
- 日本フェンシング協会 名誉総裁
- 日本バレーボール協会 名誉総裁
- 全日本軟式野球連盟 名誉総裁
- いけばなインターナショナル 名誉総裁
- 日本AED財団 名誉総裁
- 大阪芸術大学 芸術学部 客員教授
- 国際環境団体「バードライフ・インターナショナル」 」(本部・英国ケンブリッジ)名誉総裁
- 日本とカナダの友好親善活動に参加
名誉総裁を務める国際環境NGO「バードライフ・インターナショナル」で、チャールズ英国王と作家C・W・ニコルさんと森を散策する久子さま
久子さまの英語・フランス語スピーチ
「東京アメリカンクラブ95周年記念 TACトーク 高円宮妃殿下との対談」(2023年2月)
IOC総会でフランス語でスピーチする久子さま
本当に聡明で素敵なスピーチです!
まとめ
「【家系図】高円宮家とは?現在の当主久子さまの実家は鳥取家」をまとめました。
高円宮家は1984年に創設され、三笠宮崇仁親王の第三皇子である憲仁親王が初代当主となりました。
しかし、2002年11月21日、憲仁親王は47歳で薨去され、その後は久子さまが当主となりました。
久子さまと長女・承子さまで高円宮家を支え、ご公務を行っています。
久子さまの実家は鳥取家で、江戸時代から続く名家で、幼い頃から海外生活を送っておられました。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
三笠宮家の家系図についてはこちらをご覧ください。