【写真入家系図】2024年11月15日、三笠宮家の当主の百合子さま(101歳)が薨去されました。
三笠宮家には寬仁親王妃信子さま・彬子女王・瑶子女王がおられますが、
次期当主が気になるところですが、彬子女王になるのか?
また三笠宮家は麻生太郎元首相と親戚の関係にあたります。
三笠宮家・家系図
今後の当主について
【家系図】三笠宮家は女性だけの宮家!
三笠宮家は天皇室の一族です。
訃報:2024年11月15日、三笠宮家の当主の崇仁親王妃百合子さま(101歳没)が薨去されました。
孫の彬子さまが喪主となります。
高円宮家の家系図についてはこちらをご覧ください。
信子さまの実の兄が麻生太郎さんです。麻生太郎氏についてはこちら>>
三笠宮家一覧
三笠宮崇仁親王(みかさのみや たかひとしんのう) | 大正天皇と貞明皇后の第4皇男子 | 1915年12月2日-2016年10月27日(100歳没) |
崇仁親王妃百合子(たかひとしんのうひ ゆりこ) | 三笠宮崇仁親王の妃 | 1923年6月4日-2024年11月15日(101歳没) |
寬仁親王(ともひとしんのう) | 三笠宮崇仁親王と同妃百合子さまの第1男子 | 1946年1月5日-2012年6月6日(66歳没) |
寬仁親王妃信子(ともひとしんのうひ のぶこ) | 寬仁親王の妃 | 1955年4月9日(69歳) |
彬子女王(あきこじょおう) | 寬仁親王と同妃信子の第1女子 | 1981年12月20日(42歳) |
瑶子女王(ようこじょおう) | 寬仁親王と同妃信子の第2女子 | 1983年10月25日生まれ(40歳) |
寬仁親王殿下は、父君であられる三笠宮崇仁親王殿下よりも4年お先に薨去されました。
崇仁親王妃百合子さま(たかひとしんのうひ ゆりこ)
崇仁親王妃百合子さま(たかひとしんのうひ ゆりこ)
生年月日:1923年(大正12年)6月4日
没年日:2024年11月15日(101歳没)
身分:親王妃
女子学習院本科を卒業
1941年:三笠宮崇仁親王と成婚
現在、三笠宮家第2代当主
百合子さまは、三笠宮家を支え、歴史学者の道を歩んだ三笠宮さまのよき理解者として内助の功を発揮されておりました。
百合子さまは大正12年6月4日、高木正得(まさなり)子爵の次女として誕生された。昭和16年10月、三笠宮さまとご結婚。寬仁親王殿下、桂宮宜仁親王殿下、高円宮憲仁親王殿下、甯子(やすこ)さん(近衛忠煇(ただてる)夫人)、容子(まさこ)さん(千宗室(そうしつ)夫人)の3男2女を出産された。しかし、平成14年に高円宮さま、24年に寬仁さま、26年には桂宮さまを相次いで亡くされた。28年に三笠宮さまが薨去し、三笠宮家の当主となられていた。
2002年:高円宮憲仁親王殿下・三男高円宮さま薨去
2012年:寬仁親王殿下・長男寛仁(ともひと)さま薨去
2014年:桂宮宜仁親王殿下・次男桂宮さま薨去
長女甯子(やすこ)さん(80):日本赤十字社社長を務めた近衛忠煇さん(85)とご結婚
次女容子(まさこ)さん(73):茶道裏千家第十六代家元の千宗室さん(68)と結婚
百合子さまの通夜は2024年11月24日と25日の2日間行われ、本葬にあたる「斂葬の儀」は26日に営まれます。
寬仁親王(ともひとしんのう)
寬仁親王(ともひとしんのう)
生年月日:1946年1月5日〜2012年6月6日(66歳没)
父親 三笠宮崇仁親王
母親 崇仁親王妃百合子
栄典 大勲位
「ヒゲの殿下」の愛称リスト
聖心女子学院幼稚園、学習院初等科、学習院中・高等科を経て学習院大学法学部政治学科卒業
1970年:イギリスオックスフォード大学モードリン・コレッジに留学(2年半)
1980年11月(34歳):信子様(旧姓麻生信子)と成婚
寬仁親王妃信子(ともひとしんのうひ のぶこ)
寬仁親王妃信子(ともひとしんのうひ のぶこ)
旧姓:麻生信子
生年月日:1955年4月9日
出身地:東京都渋谷区松濤
皇族・寬仁親王の妃
身位:親王妃
兄:麻生太郎
松濤幼稚園・聖心女子学院初等科・中等科・英国インデペンデント・スクール、ロスリンハウス・コレッジ
1980年11月7日(25歳):寬仁親王と成婚
1981年12月20日:長女彬子女王出産
1983年10月25日:次女瑶子女王出産
【なぜ】三笠宮家信子さまと娘・彬子さまの確執はいつから?はこちらをご覧ください。
彬子女王(あきこじょおう)
彬子女王(あきこじょおう)
生年月日:1981年12月20日
続柄 寬仁親王第1女子
身位 女王
敬称 殿下
お印 雪
父親 寬仁親王
母親 寬仁親王妃信子
長女・彬子さまについての記事
三笠宮家彬子さまが結婚しない理由6選!過去の彼氏や京都の住まいが原因?はこちらをご覧ください。
彬子さまの学歴や現在の仕事とは?オックスフォードの才女で学者!はこちらをご覧ください。
彬子さまは京都に自宅マンション購入!なぜいつからお住まいなのか?はこちらをご覧ください。
瑶子女王(ようこじょおう)
瑶子女王(ようこじょおう)
生年月日:1983年10月25日
続柄 寬仁親王第2女子
身位 女王
敬称 殿下
お印 星
父親 寬仁親王
母親 寬仁親王妃信子
次女・瑶子さまについて
【画像】瑶子さまが茶髪が金髪になり軟骨ピアスも!メイク変わった?についての記事はこちらをご覧ください。
三笠宮家の次期当主は彬子女王がなるの?
現在の三笠宮家の当主は、崇仁親王妃百合子さまでしたが、2024年11月15日(101歳没)がお亡くなりになりました。
2016年(平成28年)10月27日に当主崇仁親王が薨去。
それに伴い11月16日、皇室経済会議により崇仁親王妃百合子を2代目当主と認定
崇仁親王妃百合子さま(たかひとしんのうひ ゆりこ)
生年月日:1923年(大正12年)6月4日
没年日:2024年11月15日(101歳没)
身分:親王妃
1941年:三笠宮崇仁親王と成婚
現在、三笠宮家第2代当主
訃報:三笠宮家の当主の崇仁親王妃百合子さまは、2024年11月15日(101歳没)が薨去されました。
三笠宮家は断絶の危機
現在の三笠宮家は男子(親王・王)が不在であり、
現行皇室典範上においては、崇仁親王妃百合子、および寬仁親王妃信子とその子である彬子女王・瑶子女王の薨去、または皇籍離脱をもって宮家が断絶することになる。
百合子さまの「斂葬の儀」
喪主:彬子女王
通夜
2024年11月24日と25日の2日間
本葬にあたる「斂葬(れんそう)の儀」
2024年11月26日
通夜(2024年11月24日)は彬子さまが喪主を務められました。
2024年11月26日三笠宮妃百合子さまの斂葬の儀にて彬子さまと瑶子さま↓
次期党首は長女・彬子さまか?
母・信子さまと長女・彬子さまの確執問題で、次期党首は長女・彬子さまではないかと囁かれているようです。
信子さまと彬子さまの確執問題
2015年、長女・彬子さまが『文藝春秋』に寄せられた手記に母・信子さまとの関係について綴られていたようです。
《母は父の生前である十年ほど前から病気療養という理由で私たちとは別居され、その間、皇族としての公務は休まれていた。私自身も十年以上きちんと話をすることができていない》
週刊女性より
また、父・寛仁さまの遺志により、葬儀の喪主は彬子さまが務められ、葬儀には信子さまのお姿がなかったそうです。
宮内関係のジャーナリストは、彬子さまが次の当主ということもあると伝えています。
「百合子さまはかねて、彬子さまを“次の当主”に指名したいという思いが強い。白寿の誕生日写真は、彬子さまと歓談するツーショットで“彼女へバトンを託す”と言わんばかりに信頼関係をアピールされた印象を受けました」(前出・ジャーナリスト)
週刊女性より
【なぜ】三笠宮家信子さまと娘・彬子さまの確執はいつから?はこちらをご覧ください。
彬子さまがご結婚されない理由も当主問題もあるのかもしれません。
長女・彬子さまについての記事
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まとめ
三笠宮家には崇仁親王妃百合子さま・寬仁親王妃信子さま・彬子女王・瑶子女王で、現在の当主は百合子さまです。
次期当主は本来は信子様ですが、長女の彬子さまが当主という話しも浮上されているようです。
皇室問題はいろいろと大変そうですね。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
高円宮家の家系図についてはこちらをご覧ください。
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