【家系図】麻生太郎の先祖がすごい!親戚は天皇陛下や皇室や総理大臣!

麻生太郎の家系図紹介

図解家系図|麻生太郎の家系は、親戚には天皇陛下、先祖は大久保利通と華麗なる一族。

そしてなんと安部元首相、岸田文雄首相とも遠縁です。

そんな麻生太郎の家系図をわかりやすく図解で紹介、家族構成もまとめました。皇族とのつながりはなぜなのか、わかりますよ。

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目次

麻生太郎の図解付き家系図

麻生太郎氏の親類関係には、皇族、そして天皇陛下が遠縁にあたり、先祖は大久保利通、首相経験者が多数輩出されている華麗なる家系図です。

麻生太郎の家系はすごい!
先祖:大久保利通
遠縁:天皇陛下
親戚:元総理大臣

麻生太郎の家系図/安倍晋三・大久保利通・吉田茂・皇族
© エンタメファミリー
https://entamefamily.com/
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麻生太郎の親族
皇族・三笠宮家
三笠宮寬仁親王(義弟)
・寬仁親王妃信子(妹)
・彬子女王(姪)
・瑶子女王(姪)
歴史上の人物
大久保利通(高祖父)
政治家(元首相)
吉田茂(祖父)
・鈴木善幸(岳父)
実業家
・麻生太吉(曾祖父)「明治の炭坑王三人衆」の一人

歴史上の人物や有名政治家、そして皇族の親戚がすごいですね。

三笠宮家の家系図はこちら>>

宮澤家・岸田家とも遠縁

岸田文雄総理とかなり遠縁ですが、たどり着きます。

岸田文雄家系図(岸田家・宮澤家)
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かな〜り遠い親戚ですけど、一応系図には入りますね。

武見敬三とは又従兄弟!

麻生太郎と武見敬三の関係図・家系図
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武見敬三さんとは、先祖の大久保利通から繋がっています。

詳しくは「武見敬三の家系図」についての記事はこちらをご覧ください。

麻生太郎

麻生 太郎(あそう たろう)
生年月日:1940年9月20日(83歳)
出身地:福岡県飯塚市
身長:公称175cm(クレー代表で「172.2cm」と記載)
血液型:A型
学習院大学政治経済学部卒業
1979年〜衆議院議員
2008年9月24日〜2009年9月16日:第92代内閣総理大臣
現在:副総裁

※身長サバ疑惑
麻生太郎氏の身長は公称サイズは175cmとなっていますが、クレー射撃男子代表選手の身長欄には172.2cmとなっていたようです。麻生太郎さんはどう見ても175cmは無いと思うので、172cmが正解だと思います。

2009年総理大臣時代

妻・ちか子さんとサミットに向かう羽田空港にて

麻生太郎の若い頃

麻生さんはクレー射撃の元オリンピック選手でした。

1976年のモントリオールオリンピックの時の写真↓

画像:時事より

現在の麻生太郎氏↓

麻生さんのトレードマークである中折れの帽子はイタリアの老舗メーカー「ボルサリーノ」の製品です。

武見敬三氏とは親戚関係!

麻生太郎と武見敬三の関係図
© エンタメファミリー
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麻生太郎氏についての記事一覧

麻生太郎の後継者(息子・娘)についての記事はこちら

麻生太郎の渋谷の自宅豪邸や福岡の麻生城についての記事はこちら

麻生太郎氏の顔や口の歪みについての記事はこちら

麻生太郎氏の失言まとめはこちら>>

妻・ちか子夫人

麻生 ちか子(あそう ちかこ)
本名:麻生千賀子(旧姓:鈴木千賀子)
生年月日:1950年5月30日(74歳)
出身地:東京都
父親:元内閣総理大臣・鈴木善幸
日本女子大学家政学部卒業
1983年(当時33歳)麻生太郎と結婚
子供:麻生将豊(長男)麻生彩子(長女)
実業家・麻生商事取締役を歴任し、現在は株式会社麻生の取締役

実業家としての顔

1990年代より麻生関連企業の取締役を歴任
・建設資材を扱う麻生商事
・土木業を営む麻生フオームクリート
・保険代理店を展開する麻生興産
現在:義理弟の麻生泰が経営する株式会社麻生

本名は漢字の千賀子だが、企業の役員など公的には「ちか子」とかなを使用している

祖父:吉田茂

麻生太郎の母(和子)は吉田茂の3女

吉田 茂(よしだ しげる)
生年月日:1878年9月22日
没年月日:1967年10月20日(89歳没)
出生地:東京千代田区(当時:東京府神田区駿河台)
出身校:学習院大学科中退(大学科閉鎖)
東京帝国大学法科大学政治科卒業

内閣総理大臣歴任時期(吉田内閣)
(第45・48・49・50・51代)
1946年5月22日〜1947年5月24日まで
1948年10月15日〜1954年12月10日まで

生い立ち:
高知出身の若い武士で明治維新で名をなした竹内綱の五男ですが、
茂が生まれる前に竹内は盟友の吉田健三に養子に出すことを約束していた。
1881年、横浜の貿易商・吉田健三の養子となる。
茂が11歳の時、養父・健三が40歳で亡くなり、茂るが莫大な遺産を相続した。

実の父親・竹内綱は明治維新以降、実業家となり1992年に81歳で亡くなる。

吉田茂の子供
・吉田健一(長男)
・吉田桜子(長女)
・吉田正男(次男)
・吉田江子(次女)
・麻生和子(三女)→麻生太郎の母

父・麻生太賀吉

麻生 太賀吉(あそう たかきち)
生年月日:1911年9月29日
没年月日:1980年12月2日(69歳没)
出生地:福岡県飯塚市(当時:福岡県嘉穂郡飯塚町)
祖父:麻生太吉(衆議院議員)
祖父:加納久宜(貴族院議員)
出身校:九州帝国大学(現九州大学)法文学部聴講生
麻生セメント会長・衆議院議員
「筑豊の石炭王」と呼ばれ莫大な利益を得た
カトリック信徒

結婚のいきさつ
ロンドン滞在中、白洲次郎の紹介で当時駐英大使をしていた吉田茂の三女・和子と知り合い、帰国後に1938年(昭和13年)に結婚する。

母・麻生和子

麻生 和子(あそう かずこ)
生年月日:1915年5月13日
没年月日:1996年3月15日(80歳没)
出生地:中国・安東生まれ・東京育ち
(両親についてパリ・ロンドンにも在住)
父:吉田茂(三女)
出身校:聖心女学院語学校卒業
ロンドン大学に留学
熱心なカトリック信者で洗礼名「マリア・ドロテア」
1938年:麻生 太賀吉と結婚
長男・麻生太郎/次男・麻生泰/長女・寬仁親王妃信子

「ワースト・レディ」の役割をしていた!
「女帝」「淀君」「女太閤」と呼ばれ、恐れられていた!

議に出席の父・吉田茂首相と同行した娘・和子(写真毎日新聞より)

昭和13年、「筑豊の石炭王」と呼ばれた麻生麻生太賀吉と結婚し、福岡県飯塚市に移り住みましたが、都会派の和子にはあわなかった。
戦後になり、父・吉田茂が首相に就任すると、戦時中に病死した母・雪子に代わり、和子が「ワースト・レディ」の役割を果たしていたそうです。
政界では吉田はワンマンでしたが、吉田茂に陳情する時は、「和子詣で」と言われていたそうです。
また、「女帝」「淀君」「女太閤」と呼ばれ、恐れられていたようです。

弟・麻生 泰

麻生太郎の6歳年下の弟・泰(ゆたか)さん

麻生 泰(あそう ゆたか)
生年月日:1946年8月28日
出身地:福岡県飯塚市
兄:麻生太郎
松濤幼稚園、慶應義塾幼稚舎、慶應義塾普通部、慶應義塾高等学校
1969年:慶應義塾大学法学部法律学科を卒業
イギリス・オックスフォード大学ニューカレッジ卒業
1977年:麻生セメントに入社
1979年:麻生セメント社長に就任
2000年:麻生セメント会長に就任
現在:
・株式会社麻生会長
・麻生セメント会長

麻生 泰の家族
妻:和子(武見敬三の姉)
・長男:麻生巌(実業家…ドワンゴ取締役、「麻生」社長)
・次男・麻生健(学校法人麻生塾理事長)

武見敬三氏は、義理の弟となります。

弟の麻生泰さんですが、顔や雰囲気、しゃべり方まで兄の麻生太郎氏ににていますね。

妹・寬仁親王妃信子

麻生太郎の妹・信子さま

寬仁親王妃信子(ともひとしんのうひ のぶこ)
旧姓:麻生信子
生年月日:1955年4月9日
出身地:東京都渋谷区松濤
皇族・寬仁親王の妃
身位:親王妃
兄:麻生太郎
松濤幼稚園・聖心女子学院初等科・中等科・英国インデペンデント・スクール、ロスリンハウス・コレッジ
1980年11月7日(25歳):寬仁親王と成婚
1981年12月20日:長女彬子女王出産
1983年10月25日:次女瑶子女王出産

寬仁親王(ともひとしんのう)
生年月日:1946年1月5日〜2012年6月6日(66歳没)
父親 三笠宮崇仁親王
母親 崇仁親王妃百合子
栄典 大勲位
「ヒゲの殿下」の愛称リスト
聖心女子学院幼稚園、学習院初等科、学習院中・高等科を経て学習院大学法学部政治学科卒業
1970年:イギリスオックスフォード大学モードリン・コレッジに留学(2年半)
1980年11月(34歳):信子様(旧姓麻生信子)と成婚

1988年、信子さまと2人の女王↓

”ヒゲの殿下”三笠宮家の寛仁さま 「7年越しのプロポーズ」 婚約会見・結婚の儀・朝見の儀(1980年)

寬仁親王と次女瑶子さま

父・寬仁さまの死後、信子さまは、お二人の娘と仲違いしているという噂です。

長女・三笠宮彬子さまについて>>

次女・三笠宮瑶子さまについて>>

信子さまと同じ松濤幼稚園に通っていた青井実アナについてはこちら>>

麻生家とは?

麻生太郎の曾祖父である麻生太吉は、筑豊炭田の創業者として大成功を収めて「筑豊御三家」と呼ばれました。

「筑豊御三家」明治の炭坑王三人衆
麻生太吉・安川敬一郎・貝島太助の3人

「筑豊御三家」は埋蔵されていた明治初年の筑豊炭田採掘から身を起こし、それで蓄えた財産を元手に政界への進出や他の産業への経営・投資を行いました。

麻生太吉(あそうたきち)
麻生グループの創業者
生年月日:1857年8月26日〜1933年12月8日(76歳没)

嘉麻郡立岩村柏の森(現在の福岡県飯塚市柏の森))の大庄屋に生まれた。
明治5年(1872年)、父賀郎とともに石炭採掘に従事し、明治13年(1880年)から炭鉱事業を始めた。
明治17年(1884年)、鯰田炭鉱の開発に着手し、経営基盤の拡張した。
強固な意志と不屈の精神で次々と事業を拡大した。
炭鉱事業をする一方で、飯塚病院の創立をはじめ、電気やセメントなど多角経営を行い、現在の麻生産業の基礎を作り、各業界に尽力した。
麻生商店社長、石炭鉱業連合会会長、九州水力電気社長、衆議院議員、貴族院多額納税者議員などを歴任した。

まとめ

麻生太郎氏の親族には、皇族・政治家が連なり、歴史的人物まで先祖にいました。すごい家系ですね。

麻生太郎の親族
皇族・三笠宮家
・三笠宮寬仁親王(義弟)
・寬仁親王妃信子(妹)
・彬子女王(姪)
・瑶子女王(姪)
歴史的人物
・大久保利通(高祖父)
政治家(元首相)
・吉田茂(祖父)
・鈴木善幸(岳父)
実業家
・麻生太吉(曾祖父)「明治の炭坑王三人衆」の一人

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

政治家の家系図一覧

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