石破茂の母方(石破和子)曾祖父は大河「八重の桜」で柄本時生が演じた金森通倫で、父方は政治家出身家系。
妻・桂子さんは慶応大学の同級生で石破さんが一目惚れ!
石破茂の実家や家族構成、家系図で図解でわかりやすく説明します。
【家系図】石破茂の実家や家族構成は?
石破茂総裁の家系図はこちらです。
母方の家系は学者が多く輩出し、父方は政治家の家系となります。
母方(石破和子)の曾祖父は大河ドラマ「八重の桜」で柄本時生さんが演じた宗教家・金森通倫です。
母方の家系は宗教家の家系のようですね。
石破茂プロフィール
石破 茂(いしば しげる)
衆議院議員・自民党総裁
生年月日:1957年2月4日(67歳)
出身地:東京都千代田区(育ちは鳥取県)
身長:176cm・体重:85kg
血液型:B型
出身校:慶應義塾大学法学部法律学科卒業
1986年(28歳):衆議院議員選挙に初当選
尊敬する人物:田中角栄元首相、渡辺美智雄元副総理、
石破二朗元鳥取県知事・元自治相(父)
趣味:
・鉄道マニア:遠方への出張も時間に余裕があれば鉄道を利用する
・キャンディーズの大ファン
信仰:キリスト教徒(プロテスタント)
- 鳥取大学教育学部附属中学校
- 慶應義塾高校
- 慶應義塾大学法学部法律学科
- 1986年(28歳):衆議院議員選挙に初当選
- 選挙区:鳥取県第1区・当選回数:12回
大臣・役員歴
- 地方創生担当大臣(2015年10月7日 – 2016年8月3日)
- 内閣府特命担当大臣(2014年9月3日 – 2015年10月7日)
- 党幹事長(2012年9月28日 – 2014年9月3日)
- 党政務調査会長(2009年9月29日 – 2011年9月30日)
- 農林水産大臣(2008年9月24日 – 2009年9月16日)
- 防衛大臣(2007年9月26日 – 2008年8月2日)
- 防衛庁長官(2002年9月30日 – 2004年9月27日)
- 内閣総理大臣(2024年10月〜)
石破茂の兄弟はいるの?
石破茂さんには姉が二人います。
義兄(姉の夫):臼井宗(教育者)
幼少期〜学生時代
茂の誕生の翌年(1958年)、父・二郎が鳥取県知事に就任したため鳥取に引っ越すことになります。
キリスト教徒(プロテスタント)
母・和子さんの曽祖父・金森通倫から続くキリスト教信者だったため、18歳の時にプロテスタント系では日本最大の日本基督教会に属する鳥取教会で洗礼を受けています。
そして中学校卒業まで鳥取県八頭郡八頭町で育ちますが、高校は慶應義塾高校に通います。
・教会附属の幼稚園
・鳥取大学附属小学校
・鳥取大学教育学部附属中学校
・慶應義塾高校
・慶應義塾大学法学部法律学科
慶應義塾大学へは内部進学で進んでいます。
高校時代は国語が得意で、理系が苦手だったようです。
そのため石破さんは「数字を見ると頭が痛くなる人間が経済学部に行ってなにをするんだ?」ということで、
法学部に進学しました。
大学時代
石破茂さんはカレーが大好物で、大学時代4年間カレーを食べ続けたそうです。
弁護士を目指す
・法律研究サークル「律法会」に所属
・大学2年の時に全国学生法律討論会で1位を取る
弁護士を目指し司法試験を受けようとしますが、しかし最終的にサラリーマン志望になったようです。
アイドルファン
石破茂さんは、高校時代からキャンディーズのファンで、特に藤村美樹さんが好きだったようです。
ファンクラブにも入会しており、バスツアーにも参加していたようです。
ちなみに石破さんはキャンディーズのシングル全17曲をすべて歌えると述べています。
「シングル17曲を全曲歌えます。カラオケではキャンディーズメドレーを選びますね。大抵の人は、1、2曲歌えない曲があったりするものだけど、私は通しで歌えます。私のまわりで全曲を歌えるのは自民党の山本一太参議院議員と中谷元・元防衛相くらいです」
キャンディーズのメンバーの田中好子さんが2011年4月21日に死去した際には
「本当の同時代を生きた私たちの青春そのもの。大事な友達を亡くしたような思いだ」とコメントしたようです。
また、南沙織さんのファンとしても有名のようです。
キャンディーズのファンクラブに入っていたとは!
いわゆる推し活ですね。
田中角栄に薦められ政界入り
1979年、石破さんは大学卒業後、三井銀行に入行します。
しかし、3年後の1981年に衆議院議員だった父・二郎が死去されます。
その時、父の友人である田中角栄さんから「おまえが(おなじの後に)出ろ」と政界入りを薦められたようです。 2年後の1983年に三井銀行を退職します。
1986年:28歳の若さで衆議院議員選挙に初当選
第38回衆議院議員総選挙に自由民主党公認で鳥取県全県区から出馬し、得票数は最下位ながら4位で初当選
当時は全国最年少の国会議員だったそうです。
石破茂さんの若い頃↓
基本、顔は変わっていませんが、とっても若い〜
「石破茂総裁で株価暴落・円高!石破ショックとは?悲鳴の声が!」についての記事はこちらをご覧ください。
【裏切り歴史】石破茂が裏切り者と言われる理由9選?事実誤認も!についての記事はこちらをご覧ください。
「石破茂が嫌われる理由5選!なぜ人気あるのに総裁になれないのか?」の記事はこちらをご覧ください。
「石破茂の英語力はあるのか?演説は日本語のみ!専門家による評価まとめ」の記事はこちらをご覧ください。
石破茂の身長や体重についての記事はこちらをご覧ください。
「石破茂の目つきが悪い顔が怖いはいつから?魔人ブウでも目だけ怖い」の記事はこちらをご覧ください。
妻・桂子さん
石破さんの妻(嫁)の佳子さんは、実業家の昭和電工社長だった中村明さんの次女です。
石破桂子(いしば・よしこ)
生年月日:1957年(66歳)
出身地:東京都
父:中村明(元昭和電工社長)
高校:女子学院卒業
大学:慶応大学法学部
丸紅に就職
1983年:石破茂と結婚・2女誕生
「茂さん」「よっちゃん」と呼び合っているそうです。
妻・桂子さん(よしこ)の出会いは?
一目惚れ!
石破さんは桂子さんのことを「こんなきれいな女性が世の中にいたのか」と一目惚れしたそうです。
その後、石破さんが主宰する勉強サークル「石破のヤマかけ講座」に桂子さんが参加されたそうです。
桂子さんによると、石破さんは当時流行っていた「アイビールック」ファッションなどを着ないで、シャツにネクタイ、ジャケットと真面目そうだったようです。
奥様、すごいかわいいですね!
告白するが、断られる!
茂が大学を卒業して三井銀行に就職するときに、
「結婚を前提としてこれからもお付き合いいただけませんか」と告白するが断られたようです。
奥様の断った理由がカッコいい!
「弁護士になりたいから法律学科に入ったのに、私と結婚したいから安定した仕事がいいと言って三井銀行にしたんですよねと。そういうふうに人生の目標がコロコロ変わる人は私は嫌いです」
と断ったそうです。
奥様、考え立派です!かっこいいです!
ホントに才色兼備ですね。
桂子さんと結婚も果たす
その後、8年かけて1983年9月に結婚されました。
その後、娘2人を授かります。
息子はいないようです。
佳子さんの父・中村明さんとは?
中村明(なかむらあきら)
1923年1月19年-2009年(86歳没)
新潟県出身
東京大学工学部卒業
昭和電工に入社し、取締役・社長に就任
妻:博子さん
娘:2人
・長女百合子
・次女佳子
娘・長女
1988年生まれ
高校:女子学院高校
大学:早稲田大学政治経済学部(一浪してAO入試)
就職:東京電力
「エネルギー関連の仕事がしたい」ということで東京電力に就職
娘・次女
1991年生まれ
高校:豊島岡学園高校
大学:東京理科大学
就職:エーザイ(薬剤師として勤務)or フジテレビ勤務
次女はエーザイとフジテレビ勤務という情報があるようですが、東京理科大学出身なので、エーザイの可能性が高そうです。
娘さんの情報があまり公開されていないようで、石破さんの秘書などをしていはいないようです。
息子は?
石破茂さんには、息子さんはいないようです。
父・石破二郎
茂が誕生した時、父・石破二郎は48歳と同時では高齢だったそうで、
病院には秘書の高岩迪資が行っていたようで、秘書・高岩が父親と間違えられたことがあったそうです。
石破 二朗(いしば じろう)
生年月日:1908年7月29日〜1981年9月16日(73歳没)
出身地:鳥取県八頭郡大御門村大字殿
高校:高知高等学校文科甲類卒業
大学:東京帝国大学法学部法律学科英法科卒業
(現・東京大学)
卒業後、内務省・警視庁、建設官僚を務める
子供:2女・1男
大学卒業後は官僚として役職を務めていましたが、茂が誕生の1年後に、鳥取県知事に就任し政治家となります。
政治家として
・鳥取県知事
・参議院議員
・自治大臣
・国家公安委員長
勲章:
・叙正三位勲一等 授瑞宝章
人柄
・清貧と努力の人
・儒教精神を尚ぶ
・故郷を忘れず義と理に厚い
田中角栄元首相とは友人であり盟友!
自由党時代の田中角栄は石破二郎に、東京都知事選挙に出馬するよう依頼したようですが、断ったそうです。
そして田中角栄は、「何故日本で一番小さい鳥取県の知事を望むのだ」と尋ねると、二郎は「私は鳥取県人である、鳥取に生まれ育ち、そして死ぬのである。小さくとも我が県は鳥取県である」と答えたそうです。
すると、田中角栄は、「君が郷土を思う至情に打たれた」と感銘を得たようです。
石破二郎さんは、田中角栄さんに
「1つ、願いを聞いてほしい。いよいよのときは、あんたに葬儀委員長をやってもらいたい。最後の頼みだ」と懇願したそうです。
結局、鳥取県民葬となったため、葬儀委員長は鳥取県知事が行ったようです。
しかし、田中角栄さんは「約束を果たしたい」ということで、東京の青山葬儀場で改めて「田中派葬」をやることにし「ワシが葬儀委員長だ」としたそうです。
「石破君、君との約束をワシはいま、今日こうして果たしている…」と泣きながら弔辞を読んだそうです。
また、息子である石破茂に
「次の衆院選に出ろ。お前が親父さんの遺志を継がなくて、誰が継ぐんだ」
父親を地盤を引き継ぐよう出馬を薦めたそうです。
母・石破和子
石破和子
生年月日:1918年8月
父:徳島県、山形県知事・金森太郎
祖父:宗教家・金森通倫
和子は、国語教師だったこともあり教育熱心だったようで、長男・茂に小学校の頃、毎晩1時間偉人伝を朗読させていたそうです。
お坊ちゃまという感じですね。
母和子の先祖がすごい!
曾祖父・金森通倫は大河ドラマ「八重の桜」のモデル!
石破茂さんの母方の曾祖父・金森通倫氏は、大河ドラマ「八重の桜」にも描かれた人物です。
金森 通倫(かなもり みちとも ※「つうりん」とも読む)
別名:ポール・カナモリ
生年月日:1857年10月2日〜1945年3月3日(87歳没)
出身地:肥後国玉名郡(現・熊本県玉名市)
同志社英学校卒
宗教家
生い立ち
- 1857年10月2日、熊本県玉名市の小天本村で金森繁蔵(熊本藩士)の次男として生まれた。
- 別名はポール・カナモリで、1872年に熊本洋学校に入学し、ジェーンズ・L.L.氏の影響を受けた。
- 1876年、花岡山奉教結盟「熊本バンド」に参加し、同志社に入学。
- 同志社の創設者である新島襄から受洗を受けた。
- 1880年にアメリカン・ボード宣教師の協力を得て岡山教会の初代牧師に就任。1885年に『基督教三綱領』を著す。
- 1886年に同志社に教師として招かれ、1887年には同志社教会牧師に就任、1889年には同志社社長に抜擢された。
- 金森は実業の才を発揮し、「一銭講」「二円講」を生み出し、募金活動で新島襄の夢に貢献した。
- 新島襄の死後、金森は後任とされたが、新島の遺言書の内容から山本覚馬が臨時社長になった。
- 1890年に同志社を追われ、東京番町教会牧師となるも、翌年辞任。
- 1892年に『日本現今之基督教並ニ将来之基督教』を著し、新神学の旗手となって日本組合基督教会を脱会。
- 1912年に妻が亡くなり、組合教会に復帰。1914年に山室軍平の救世軍に入隊し、1927年には中田重治の東洋宣教会日本ホーリネス教会に入会。
- 1933年に救世軍とホーリネス教会から脱会し、湘南の嶺山で隠居生活を送り、福島県郡山で89歳で亡くなった。
熊本バンド:
1876年(明治9)熊本の花岡山
熊本洋学校の生徒34名が、米国人教師L.L.ジェーンズの教えを受け、自主的に奉教趣意書に署名してプロテスタント・キリスト教に改宗し、これを日本に広めようと盟約を交わした集団のこと
NHK大河ドラマ「八重の桜」(2013年)で描かれる
大河ドラマ「八重の桜」(2013年)では、金森 通倫の役を柄本時生(えもとときお)さんが演じました。
金森 通倫の役柄:
明治維新後、「熊本バンド」というキリスト教徒の学生グループの一員で弾圧に遭って熊本から新島襄(演・オダギリジョー)の同志社英学校に転校してくるという役
大河ドラマ「八重の桜」綾瀬はるか主演
・山本八重/新島八重(綾瀬はるか)
・新島 襄(オダギリジョー)・・八重の夫
なんと、大河ドラマのモデルになった人物だったなんて!
まとめ
石破茂さんの家系図を調べました。
・石破茂の父親は政治家で石破さんは地盤を引き継いだ
・母方の実家は学者揃いで、曾祖父はキリスト教徒の宗教家
父方・母方の祖父、曾祖父についてさらに調べていこうと思います!
最後までご覧いただきましてありがとうございました。
「石破茂が嫌われる理由5選!人気あるのに総裁になれないわけ」の記事はこちらをご覧ください。