【家系図】河野太郎の父は衆院議長!先祖に伊藤忠商事・丸紅創業者!

【家系図】河野太郎の一族は政治家で先祖に伊藤忠商事・丸紅創業者!

河野太郎さんは政治家一族、そして先祖には伊藤忠商事の創業者がいるそうです。

父・河野洋平さんは元自民党総裁でしたが、内閣総理大臣ではなかった幻の総裁だとか。

そんな河野太郎さんの家系図をわかりやすく図解で説明します。

スポンサーリンク
目次

【家系図】河野太郎の父は衆院議!先祖に伊藤忠商事・丸紅創業者!

河野太郎さんの家系を調べると、すごいことがわかりました。

父方の家系は政治家一族で、

母方の家系はなんと日本の総合商社のトップに君臨する伊藤忠商事と丸紅の創業者です。

河野太郎の家系図
© エンタメファミリー
※家系図画像の転載・引用はいかなる場合も禁止します
無断複製、転載、転用、改変等が判明した場合は、法的措置をとる場合がございます。

蒼々たる家系ですね!

河野太郎

河野 太郎(こうの たろう)
生年月日:1963年1月10日
出身地:神奈川県平塚市
出身校:ジョージタウン大学国際学部比較政治学科卒業
現在:デジタル大臣・衆議院議員(9期)
身長:サバ読んで自称174cm

河野太郎の学歴
  • 平塚市立花水小学校
  • 慶應義塾中等部
  • 慶應義塾高等学校

大学

  • 1981年4月:慶應義塾大学経済学部に入学するも2ヶ月で退学

渡米

  • 1982年9月: にワシントンD.C.のジョージタウン大学に入学し、比較政治学を専攻
  • 1985年12月:ジョージタウン大学卒業
河野 太郎の職歴

ジョージタウン大学卒業後帰国

  • 1986年:富士ゼロックスに入社
    シンガポールに転勤
  • 1993年:日本端子に転職
河野 太郎の政治歴

政界入り

  • 1996年:衆議院議員で初当選

大臣歴

  • 2002年: 総務大臣政務官
  • 2005年: 法務副大臣
  • 2017年: 外務大臣
  • 2019年: 防衛大臣
  • 2020年: 行政改革担当大臣
  • 2021年: 新型コロナウイルス感染症ワクチン接種担当大臣
  • 2022年〜現在: デジタル大臣

1996年の初当選の河野太郎

画像:タウンニュースより

外務大臣時代の河野太郎

画像:外務省より

河野太郎のエゴサがすごい!

河野太郎氏は、自分に関するツイートを見つけるのが得意で、

「エゴサの鬼・達人」として有名です。

暗号も解読し、縦文字、アスキーアートなども見つけて、面白い返事をするそうです!

モールス信号で送られたメッセージに対しても、なんとモールス信号で「ヤメレ」と返答してます。

Xの返信投稿↓

身長についてサバ読んで174cmと返してます・・・

ホントにエゴサがすごそうですね!

河野太郎さんの妻・香さんについての記事はこちらをご覧ください。

父・河野洋平

河野 洋平(こうの ようへい)
生年月日:1937年1月15日
出身地:神奈川県平塚市
出身校:早稲田大学高等学院から早稲田大学政治経済学部卒業
米スタンフォード大学留学
職歴:丸紅へ入社
1967年:初当選
自民党総裁・外務大臣・衆議院議長を歴任
2009年:政界引退

河野 洋平の政治歴
  • 1967年: 衆議院議員に初当選
  • 1972年: 文部政務次官
  • 1976年: 新自由クラブ代表(初代)
  • 1985年: 科学技術庁長官、原子力委員会委員長
  • 1992年: 内閣官房長官、婦人問題担当大臣
  • 1993年: 自由民主党総裁(第16代)
  • 1994年: 外務大臣、副総理
  • 1999年〜2003年: 外務大臣
  • 2003年: 衆議院議長(第71代)
  • 2005年: 衆議院議長(第72代)
  • 2009年:政界引退

自民党総裁なのに首相ではなかった?

河野洋平さんは、自民党総裁になったのに、内閣総理大臣ではなかったようです。

1993年、河野洋平氏は自民党総裁に選ばれましたが、その直後に自民党は野党に転落しました。

非自民の七党一会派が連立政権を形成し、細川護煕氏が首相に指名されたためです。

河野氏は総裁として、野党第一党の党首として国政運営に関与する立場となりました。

河野談話

1993年、河野氏は内閣官房長官として、いわゆる「従軍慰安婦」問題に関する「河野談話」を発表しました。

この談話は、日本政府が慰安婦問題に対して公式に謝罪する内容であり、国内外で大きな反響を呼びました。

息子・太郎のドナーで肝臓移植する

父・河野洋平さん(当時65歳)は、2002年に肝臓移植をしました。

1976年に肝機能障害を指摘され、後にC型肝炎と診断されたそうです。

2000年に黄疸が出現し、意識障害も生じるようになったそうです。

そして、2002年に息子・太郎さんが自分の肝臓をドナーすることを決意し、父の肝臓移植手術となったようです。


なぜ、肝臓ドナーを決意したのか?

河野太郎さんは母・武子さんを癌で亡くしています。

癌の発見が遅くて手遅れだったことを後悔し、「おやじにできる限りのことをしたい」という思いでドナーすることを決めたそうです。

祖父・河野一郎

河野太郎の父方の祖父・河野一郎

副総理や自民党幹事長、自民党総務会長を歴任した人物で、河野家の盤石な基盤は河野一郎氏が築きました。

河野 一郎(こうの いちろう)
生年月日:1898年6月2日
没年月日:1965年7月8日(67歳没)
出身地:神奈川県小田原市
出身校:早稲田大学政治経済学部卒業
職歴:朝日新聞
1932年:初当選
父・河野治平の次男

河野 洋平の政治歴
  • 1932年: 衆議院議員に初当選(神奈川県第3区)
  • 1954年: 農林大臣(第1次鳩山内閣)
  • 1955年: 行政管理庁長官(第3次鳩山内閣)
  • 1957年: 経済企画庁長官(第1次岸改造内閣)
  • 1961年: 農林大臣(第2次池田第1次改造内閣)
  • 1962年: 建設大臣(第2次池田第2次改造内閣)
  • 1962年: 首都圏整備委員会委員長(第2次池田第2次改造内閣)
  • 1963年: 近畿圏整備長官(第2次池田第2次改造内閣)
  • 1964年: 副総理、東京オリンピック担当大臣(第3次池田改造内閣)
  • 1964年: 副総理、スポーツ担当大臣(第1次佐藤内閣)
  • 1965年7月8日:大動脈瘤破裂のため急死

大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺〜」のモデルとなった!

河野一郎を演じたのは桐谷健太さん!

河野一郎(演・桐谷健太)は、田畑政治(演:阿部サダヲ)の同僚記者として登場し、金栗四三を師と仰ぎ、早稲田大学時代には弟の謙三とともに競争部の長距離で活躍した人物として描かれています。

河野太郎の母方の家系が伊藤忠商事・丸紅創業者

河野太郎さんの母・河野武子さんの実家は総合商社の伊藤忠商事・丸紅の創業者の一族です。

高祖父・伊藤忠兵衛(初代)

初代 伊藤 忠兵衛 (いとう ちゅうべえ)
生年月日:1842年8月7日
没年月日:1903年7月8日(60歳没)
出身地:近江国犬上郡豊郷村
伊藤忠商事・丸紅の創業者

初代伊藤忠兵衛は、15歳で1858年に麻布の行商を始め、近江麻布類の持ち下り商を行いました。

大阪経由で泉州や紀州に行商し、これが伊藤忠商事の創業とされています。

曽祖父・伊藤忠兵衛(二代目)

二代目 伊藤 忠兵衛(いとう ちゅうべえ)
幼名:精一
生年月日:1886年6月12日
没年月日:1973年5月29日(86歳没)
出身地:滋賀県犬上郡豊郷街
出身校:滋賀県立商業学校(中退)
初代・ 伊藤 忠兵衛の次男
1903年:父の死去後二代目 伊藤 忠兵衛を襲名
伊藤忠商事・丸紅を受け継ぐ
伊藤忠財閥の2代目当主

1903年に父が他界し、わずか17歳で二代目 伊藤 忠兵衛を襲名しました。

自転車の導入し業績を伸ばす!

伊藤本店に入店して間もないころ、大阪市の得意先回りをするのに徒歩に代わって自転車を利用することを提案。

当時、自転車はまだ普及しておらず、乗れる者がいなかったため、忠兵衛は自ら「教官」となって店員の「自転車教習」を行い、一日に回れる得意先の数を飛躍的に増やしたそうです。

それにしても伊藤忠と丸紅の創業者だなんて、すごいですね!

まとめ

【家系図】河野太郎の父は元総裁!先祖に伊藤忠商事創業者!をまとめました。

河野太郎さんの父方は政治家一族で大臣を多く輩出してます。

母方はなんと伊藤忠商事、丸紅の創業者の家系でした。

最後までご覧いただきましてありがとうございました。

河野太郎さんの妻・香さんについての記事はこちらをご覧ください。

総裁選候補者の関連記事はこちら

小泉進次郎

茂木敏充

石破茂

林芳正

河野太郎

上川陽子

加藤勝信

政治家の家系図関連記事

目次