選対委員長に就任した小渕優子さんの家系図を調べてみました。祖母、祖父の活躍で地元の地盤が築き上げたようです。
速報:小渕優子選対委員長が「Dappi」の“野党誹謗会社”にカネを流し続けていた!
小渕優子の家系図と家族構成を調査!
小渕優子
• 名前 小渕 優子(おぶち ゆうこ)
• 生年月日 1973年12月11日(50歳)
• 出身地 東京都文京区生まれ
• 学歴 成城大学経済学部
• 前職 TBS社員(1996年〜1998年)
1998年〜2000年:父小渕恵三の首相就任後、TBSを退社し恵三の私設秘書
2000年6月26日〜自民党衆院議員現職
2004年12月:瀬戸口克陽氏と結婚し、息子が2人いる
夫の瀬戸口克陽さんはTBSの同期入社で、結婚後は婿入りしたそうです。
幼少期〜大学まで
・小学校:星美学園小学校(星美学園幼稚園より)私立の学校
・中学校:成城学園中学校
・高校:成城学園高校
・大学:成城学園大学経済学部経営学科
経歴
- 1996年:TBS入社、研修を経て「はなまるマーケット」のAD(アシスタントディレクター)となる
- 1998年:TBS退社
- 1998年〜2000年:父小渕恵三の首相就任後、TBSを退社し恵三の私設秘書
- 2000年5月:父、小渕恵三急逝のため、衆院議員に立候補
- 2000年6月:衆議院議員初当選(26歳)
- 2004年12月:瀬戸口克陽氏と結婚
- 2008年:麻生内閣で内閣府特命担当大臣(男女共同参画、少子化対策)として初入閣(戦後最年少の34歳9ヶ月)
- 2014年9月:第2次安倍改造内閣で経済産業大臣、及び内閣府特命担当大臣に任命
- 2014年10月20日:政治資金規正法違反で辞任
「ドリル優子」と言われることに・・・ - 2023年9月13日:自由民主党選挙対策委員長に就任
ドリル事件についてはこちら>>
TBS退社、総理大臣の父の秘書になる決断
毎日流れてくる父へのバッシング。そういう立場に父がいること、それだけの責任を担っているということ、頭ではわかっているけれど心は納得いかない。 「父を傷つけないでほしい。」正直な気持ち。「なんでそんなひどいことばかり言われるんだろう」胸が痛かった。 でも会社の中では変わらない態度を装っていた。
小渕優子オフィシャルサイト
会社での仕事は一生懸命した。 制作の仕事がしたいといって、いろいろな方のご尽力により希望部署に行かせてもらったのが7月。 そして父が総理になったのも7月。まだまだやりたい。あまりにも中途半端だった。
父のことが心配で、たびたび公邸に顔を出した。「大丈夫?」と聞くと、「大丈夫だよ」と言った。その言葉で私は安心させてもらって、好きなことをさせてもらっていた。 でも、実際もう限界だった。ある日、同じように公邸に顔をだすと、父は寝室にいた。長いすに座って、父はつぶれたようになって寝ていた。 使いすぎて擦り切れた雑巾のようだった。もう、遠くから大丈夫?と言ってるだけなんてできなかった。 私は中途半端でなんの手伝いだってできないけど、でも近くにいなければ、と思った。なんでもいいから、どんな小さいことでも私に出来ることを父のためにしようと思った。
それが私のためだと。今、やらなければ一生後悔する。会社を辞めよう。と決めた。
1998年から約2年父親の秘書をつとめ、まさか2年後の2000年に自分が父親の後継者として立候補するとは思いもしなかったと思います。
若干26歳での初当選から今では日本初の女性総理最有力候補とも言われているようです。
櫻井翔と親戚関係??
櫻井さんの両親は群馬県出身で、特に母親の櫻井陽子さんが小渕さんの親戚では?という噂もあるようですが、具体的なつながりは不明です。
同じ成城大学出身者・小澤 征悦(おざわ・ゆきよし)さんについては>>
(小澤さんは小渕さんの1歳年下)
夫:瀬戸口克陽(せとぐち かつあき)
2004年12月7日、小渕優子議員と瀬戸口克陽さんは結婚しました。
小渕優子さんと結婚後、小渕姓となりましたが、仕事では瀬戸口 克陽として活動しているようです。
夫:小渕 克陽(おぶち かつあき)
- 旧姓:瀬戸口 克陽(せとぐち かつあき)
- 生年月日 1973年9月9日
- 出身地:鹿児島県
- 高校:鹿児島県立鶴丸高等学校
- 大学:東京大学経済学部
- 職業:TBS(現在、編集局長)
TBSでの経歴
・1996年:TBS入社、情報番組部門
・1998年:ドラマ制作部門
・2010年:プロデューサーへ
・2012年:編成局編成部へ移動
・2019年:編成客編成部部長へ昇進
・2020年:編成局長へ昇進
敏腕プロデューサーとして活躍
TBSではヒット番組を手掛け「高視聴率男」と呼ばれていたようです。
代表ドラマ
・GOOD LUCK(木村拓哉主演)
・ 花より男子(松本潤主演)
・華麗なる一族(木村拓哉主演)
・99.9-刑事専門弁護士-(松本潤主演)
・花のち晴れ(平野紫耀主演)
・Around40〜〜注文の多いオンナたち〜
順調に昇格し、出世街道を進んでいますね!
父:小渕 恵三 (おぶち けいぞう)
「平成おじさん」と言われた父・元総理大臣小渕 恵三
本名:小渕 恵三 (おぶち けいぞう)
出身地:群馬県吾妻郡中之条町
生年月日:1937年6月25日 – 2000年5月14日)(62歳没)
出身高校:東京都立北高等学校(現東京都立飛鳥高等学校)
最終学歴:早稲田大学(第一文学部)卒業
活動期間:1963年〜2000年
第84代内閣総理大臣
小渕恵三さんの生い立ちや経歴
- 政治への道
- 父親が1958年に脳梗塞で亡くなった後、政治家としてのキャリアを選びました。
- 1963年、初めて立候補し、激戦区である衆議院議員選挙において初当選を果たしました。
- 自民党内での活動
- 自民党内では保守本流として竹下登に師事し、小渕派の会長を務めました。
- 総務長官、沖縄開発庁長官、党幹事長、外務大臣など、要職を歴任しました。
- 「平成おじさん」
- 内閣官房長官時代、平成改元の際に官邸で「新しい元号は平成であります」と記者会見し、この言葉から「平成おじさん」として親しまれました。
- 内閣総理大臣就任
- 1998年から2000年まで内閣総理大臣を務めました。
- 自由党・公明党との連立政権を樹立し、多くの法案を成立させ、外交面でも東アジア諸国との関係を発展させました。
- 逝去
- 2000年4月、脳梗塞を発症し、翌月5月14日に逝去。
- 偶然にも父親(小渕光平)と同じ病気・同じ病院で亡くなりました。
- 政治家としての評価
- 温和な性格と知られ、「人柄の小渕」と評されました。
- 一方で、裏切り者を冷遇する厳しい一面も持っていました。
脳梗塞
首相在任中の2000年4月2日夜に脳梗塞を発症し、順天堂大学医学部附属順天堂医院に入院
2000年5月14日に意識が戻らず逝去されました。
脳梗塞の前兆?
脳梗塞が発症する2000年4月1日の会見中に前兆(発作)を起こしたシーン
記者からマイクを向けられて10秒ほどポカンと口を開け無言になっていて、
口元を見ると何か言葉を発しようとしていたようで、呂律が回らなく話そうとしてもスムーズに言葉がでなかったようです。
→脳梗塞に「一過性の脳虚血発作」(TIA)という前兆があるようです。
小渕恵三は「平成おじさん」として親しまれ、日本の政治界で多くの要職を務めました。
おしくも首相の任期中に急逝するということになりました。
母:小渕 千鶴子(おぶち ちづこ)
小渕 千鶴子(おぶち ちづこ)
生年月日:1940年(昭和15年)8月16日 (83歳)
出身地:群馬県吾妻郡中之条町
1967年:小渕恵三と結婚
エッセイスト、政治運動家、環境保護運動家
大野製材元社長の大野太郎は実父
1. 出身地と恋愛結婚:
- 小渕恵三、千鶴子は群馬県吾妻郡中之条町出身で、幼馴染の関係にありました。
- 大学入学後に交際が始まり、小渕さんが世界38ヵ国を回る放浪旅中に、数百通ものラブレターを千鶴子夫人に送ったと伝えられています。
- ふたりは1967年に結婚し、仲人は政治家の橋本登美三郎さんがつとめました。
2. 千鶴子夫人の評価:
- 千鶴子夫人は「理想的な政治家夫人」と称されており、前首相の橋本龍太郎の妻・久美子と並び称されました。
- 彼女はタフさと辛抱強さを備えつつも、おおらかさと慈母観音のようなふくよかな顔立ちを持っており、周囲を惹きつけました。
- 彼女は公の席では控え目で、夫の政治家活動を支えながらも目立たないよう心がけていました。
3. 彼女の役割と人柄:
- 彼女は小渕の政治家としてのキャリアを支え、政治家夫人としてのタフさとおおらかさを兼ね備えていました。
- 彼女の存在は周りの空気を和ませ、ギスギスした場でも円満な方向に導く独特のムードを持っていました。
- メディアの前に出ることを避け、控え目な姿勢を貫いていました。
お見合いとかだと思いましたが、幼馴染み、ラブレターを送るほどの恋愛結婚なんですね!
祖父:小渕 光平(おぶち みつへい)
小渕 光平(おぶち みつへい)
生年月日:1904年(明治37年)2月26日 – 1958年(昭和33年)8月26日54歳没
出身:群馬県中之条町
1923年:19歳、小渕製糸所を設立
小渕光平の経歴:
- 群馬県中之条町で生まれ、貧しい環境で成長。
- 19歳で小渕製糸所を創業し、成功を収める。
- 光山社グループを築き上げ、製糸以外の業種にも進出。
- 地方政治にも参加し、中之条町議会議員として活動。
政治活動と議員歴:
- 1942年、中之条町議会議員に初当選。
- 1949年、民主自由党から衆議院議員に初当選。
- 自由民主党からも立候補し、再選される。
- 1958年、自由民主党から再選された後、急死。
- 息子の小渕恵三も脳梗塞で亡くなり、光平と同じ病院で亡くなった。
小渕光平さんが地道な努力と決意によって、製糸業から始まり、光山社グループを築き上げました。
祖母:小渕 千代(おぶち ちよ)
小渕 千代(おぶち ちよ)
生年月日:1906年 – 1996年2月2日(90歳没)
日本の実業家・政治運動家
吾妻三女傑の異名をとった
1. 学業と結婚:
- 佐藤裁縫専門学校(現在の高崎商科大学附属高等学校)を卒業。
- 鐘紡に入社し、新町工場で働く。
- 後に小渕製糸所に入社し、1929年に小渕光平と結婚。
2. 政治活動と逮捕:
- 夫の衆議院議員選挙出馬に伴い、1949年に運動員として活動。
- 1952年の衆議院議員総選挙で公職選挙法違反により逮捕される。
- 1958年の総選挙でも公職選挙法違反で逮捕され、1か月間勾留された。
- 同年、夫の光平が急逝。
3. 製糸業と後半の生涯:
- 製糸業の経営努力を続け、地道に事業を維持したが、1995年には光山社製糸所が操業停止した。
- 翌1996年には彼女が亡くなった。
小渕優子の祖母千代さんは、活動家として夫を支え、夫の死後は実業家として経営に奮闘したいたようです。
姉:小渕暁子(おぶち あきこ)
小渕暁子(おぶち あきこ)
生年月日:1968年2月3日
玉川大学文学部芸術学科卒業
グリーティングカードメーカー企画室を経て、1994年に独立し、aube designを設立
職業:イラストレーター・デザイナー・絵本作家
絵本作家では「おぶちあきこ」と名乗っている
シチズン時計から女性用眼鏡フレーム「VISAGE(ビサージュ)」シリーズ11モデルを2005年(平成17年)に発売し、メガネ部門で2005年(平成17年度)グッドデザイン賞に選定された。
2010年、上海万博において日本産業館のアテンダントユニフォーム、事務局スタッフユニフォーム、トイレ博士、マスコットキャラクター昆昆(クンクン)のデザインを担当した。
兄:小渕剛
小渕剛
52歳(2024年)
職業:日本経済研究センター
2007年ANA勤務
→出向で「日本経済研究センター」に勤務しているようです。
小渕優子さんの兄、剛さんの情報はあまりないようで、現状変わっている可能性もあります。
伯父:2代目小渕 光平
小渕 庚午(おぶち こうご)→2代目小渕 光平
1930年(昭和5年)6月8日 – 2008年(平成20年)5月26日
1958年(昭和33年)東京農工大学を修了する。小渕光平を襲名し光山製糸に入社する。卓越した経営手腕で光山社グループ総帥として君臨する。
父の跡を継ぎ、群馬県の企業グループ光山社の総帥を務める。その傍らで中之条町長を務めた。
まとめ
小渕優子さんの家系図を調べてみましたが、祖父、祖母の気づいた地盤を大事にしているようです。
まだ50代の小渕優子さんは政治家としてはまだ若い世代でもあるので、益々活躍しそうですね。
最後までご覧いただきましてありがとうございました。